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或恋愛小説 或は「恋愛は至上なり」(芥川龍之介 小説 独自解釈 1)

引用:芥川龍之介「或恋愛小説――あるいは「恋愛は至上なり」――」
芥川龍之介 或恋愛小説 ――或は「恋愛は至上なり」―― (aozora.gr.jp)

 芥川龍之介先生が書いた「或恋愛小説」について考えてみたいと思います。登場人物は、小説家の堀川保吉(ほりかわやすきち)と婦人雑誌社の編集者。面会室での二人の会話を小説にしています。

 編集者に恋愛小説を書いてほしいと切り出された保吉は、書きたいと思っている小説がある、それは「恋愛は至上なり」と言う小説だと言います。それに対し編集者が「厨川(くりやがわ)博士の近代的恋愛ですよね」と言います。

 この近代的恋愛とは「恋愛至上主義」の事で、恋愛を人間の最高の価値と考える思想です。厨川白村(くりやがわ・はくそん)は、恋愛のない見合い結婚を非難し、恋愛結婚が理想だと主張しました。

 保吉は、小説の内容を話し始めます。

 「主人公は若い女性で、外交官の妻。新婚の二人は東京山の手に住んでいる。一緒に音楽会に行ったり銀座を歩いたりする事もある。西洋風の部屋に、絵画を飾ったりピアノを置いたり観葉植物も置いているけど、家賃は案外安い」

 などと説明すると、編集者は「そういう説明は小説に書かなくても良いでしょ?」と指摘します。保吉は「若い外交官だからそんなに収入はない」と、リアリティを出すために必要だと言います。それに対し「じゃあ、華族の息子にしてください。伯爵か子爵の息子に」と編集者が注文を出します。

 保吉は「じゃあ、伯爵の息子で良いです。とにかく、西洋風の部屋さえあれば良いのです」と言います。

 「主人公の名前は妙子。彼女は、音楽家で天才的な才能を持つ達雄と出会い、彼は自分を愛していると直感で感じる。達雄は美男子ではなく、東北生まれの野蛮人。ただ、目だけは天才的な閃きを持っている」と説明すると、編集者が「天才はきっと読者に受けるでしょう」と言います。

 「妙子は外交官の夫に不満はない。むしろ熱烈に夫を愛している。夫もまた妙子を信じている。そのために、彼女の苦しみは募るばかり」と言うと、編集者が「近代的恋愛というのは、そう言う恋愛ですよ」と言います。

 「達雄は、夫がいる時でも妙子が一人の時でも、彼女の家にやってくる。仕方がないから妙子はピアノばかり弾かせる。それでも、容易に恋愛にまでは発展しない。ある二月の晩、シューベルトの情熱的な曲を弾き始めた時、妙子は彼に対する愛を感じるようになる。

 もしかしたら、達雄の腕の中に体を預けたかも知れない。その時ちょうど、夫が帰ってくる」と保吉が説明すると、編集者が「それから?」と言って続きを促します。

 この辺の二人のやりとりが面白いですね。作家は得意になって物語を話し、編集者は読者の立場になって続きを聞こうとしています。すると作家は気分を良くして、また得意になって続きを話し始めます。

 「妙子は一週間悩んだのち、苦しさに耐えかねて自殺を決心する。しかし妊娠しているために実行する勇気が出ない。そこで、達雄に愛されていることを夫に打ち明ける。

 しかし、夫を苦しめないために自分が達雄を愛している事は黙っておく。その後、夫は達雄の訪問を冷ややかに拒絶する。達雄は唇を噛んだままピアノを見つめ、妙子は忍び泣きをこらえる。

 しばらくして、夫は中国の領事館へ赴任。もちろん妙子も一緒に行く事に。妙子は達雄に手紙を書く。運命だから諦めましょうと。それ以来、妙子は達雄に会わない」

 ここまで説明した保吉に編集者が「じゃあ、小説はそれで終わりですね」と確認すると「いや、もう少し残っています」と言って続きを話します。

 「妙子は時々達雄を思い出す。そして、夫よりも達雄を愛していたと考えるようになる。そして一年たったのちに、達雄に手紙を出す。私はあなたを愛していた。今でもあなたを愛している。どうか自ら欺いていた私を可哀想に思って下さいと。

 達雄は場末のカフェのテーブルでその手紙を読む。そして、ピアノの蓋に、二人の愛の巣が見えたような気がする」

 ここまで聞いて「ちょっともの足りない気もしますが、とにかく近来の傑作ですよ。ぜひそれを書いて下さい」と言いますが、「実はもう少しあるんです」と言って話を続けます。

 「実は達雄は、妙子の事など少しも愛していなかった。ただピアノを弾きたいから、彼女の家に行っていた。貧しい達雄にピアノを買う金などなかったから」

 そう聞いて、編集者は慌て始めます。思っていた恋愛小説と違う。それでも保吉は話をやめません。

 「ピアノを弾いていられた頃は幸せだったけれども、達雄は震災以来、巡査になった。護憲運動のあった時は、善良なる東京市民のために袋叩きにされている。ただ、山の手の巡回中、稀にピアノの音(ね)でもすると、その家の外に佇んだまま、はかない幸福を夢見ている」

 「それじゃ、折角の小説は……」と青ざめている編集者に構う事なく、保吉はまだ話を続けます。

「妙子はその間も、相変わらず達雄を思っている。四人の子持ちになってもまだ。夫はいつのまにか大酒飲みになり、妙子は豚のように太った。それでも妙子は、本当に愛し合ったのは達雄だけだったと思っている。

 恋愛は至上なり。さもなければ妙子のように幸福になれるはずはない。どうです、こう言う小説は?」

 保吉は自信満々ですが、編集者に「これではうちの雑誌では到底載せられません」と言われてしまいます。編集者は、読者が頭を使わなくても単純に楽しめる恋愛小説を求めていました。

 しかし作家としては「読者をあっと驚かせたい」「想像の上をいきたい」と言う欲望があります。恋愛小説と言いながらも、ミステリー要素を加えたいという感じですかね。

 私は、保吉の考えた結末は面白いと思いましたが、皆さんはどう感じられたでしょうか?

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