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遠くの親戚

円高の波に乗り、アメリカに暮らす親族がやって来ると云ふ。

ハジマリは母方の祖父の時代のこと。
祖父の兄は船に乗って、鳥を捕りに(ダジャレではなく)行ったそう。
その船が流されてアメリカに着いてしまい
どうにもこうにも帰れないので現地で手伝いなどをして日銭を稼ぎ生き延びた。

もうこの段階で、
『鳥を捕りに(売るためなのかなんなのか知らんけど)行って流されるってどんな船でどんな距離?』
と想像がつかないのだけど、事実だそう。

アメリカ人はとても好意的に見てくれていて
真面目に働く流れ着いた日本人たちにもきちんと賃金を支払い
家も持たせてくれたという。

っていうか、
流れ着いただけなのによくもまぁ家を持つまでそこに居たね?
と私は思うのだけど…。

そうして現地で認められ、家も土地も手に入ったとなると離れ難いと思ったのか
祖父の兄は、『誰か嫁に来ないか』と本家に手紙を出したそうだ。
近所の娘さんが手を挙げてくれたのでそのままアメリカに渡り夫婦となり
祖父の兄夫婦はあちらで暮らしながら子供も増え…ということで現在に至る。

…と言うのがざっくりした経緯。

その祖父の兄がアメリカでお金を貯めるため(どこに居てもそうだとは思うのだけどいい人ばかりではなく、当時日本人はバカにされたり襲われそうにもなったとのこと)、畑にカメ(梅干しつけたりするあの茶色いカメね)を埋めてお金を隠したりしてたんだって。

最終的には広い畑でキャベツやセロリを育て、なかなか裕福だったようで日本に帰って来た際に、母に、アメリカに来るなら世話するよと誘ったそうだ。
当時中学生の母は「行きたい」といい、1年がかりで注射だの準備だのなんだのをしてアメリカに渡り、ハイスクールの3年間お世話になった。

よく英語も話せないのに行ったよね?すごい度胸だわ…。
当時の英語の授業は「トマトは英語でトーメート!」と言う感じだったそうで我が母ながら無謀だろと思ったりした。

それはさて置き、祖父兄は子供達にも『結婚相手は日本人!』と言っていたそうだが2世、3世ともなればもう日本語も話せないアメリカ育ち、パートナーも色々混ざるわけで、今回日本に来るのは私からしたら、みんな外人枠(どんな枠)。

そんな中、妹のところへ英語でメールが来て、妹は即、迷惑メール扱い(爆笑)
本家の奥さんから連絡が来て、妹がメールを見てくれてないのか確認して欲しいとアメリカから連絡が来たそうだ。

妹曰く、
「なんかすごい会いたいみたいで家の方まで行けるとか、何時でも合わせるとか言ってるみたいよ?(妹も翻訳ソフトで解読)にも関わらず、母は会わないから断ってだって!!」
と。

母も年齢は重ねてるけども妹が車出すって言ってるんだから行ったらいいのに、体調が良くないとか、腰が痛いとか…、卓球やっててどの口が言う…と思うのだが、結局のところは行きたくないのよね。

『自分たちの祖父の祖国にいる親族をそんなに近しく思ってくれてるなら、会えば良くない?母がアメリカにいた時に世話したお子ちゃま達が中年になってやっと今回来るんでしょ?』
と言ったのだけど、まーず、行かないって行ったら行かないだろうねと。
英語の話せる母が行かないのに、妹と私が行くってことでいいのだろうかと、妹に変わって私がメール担当となって連絡したら大喜びして頂いた。

ランチをしましょうということで日本語が話せるというサチコから電話するという。サチコって誰?

全然関係性も名前も分からないまま会うとかすごいよね?

メールには『サチコは70代、白髪です!』って。
電話だから特徴はどうでも…と思いつつ電話を待つことに。

話してみたら、サチコはとてもよくしゃべり、
『葛飾と言ったら柴又ね!寅さんの!』
と、日本のことを知っているようだ。

無事に約束をし、さて、それで誰と誰が来るんだい?
と前日になってからラインで質問(誰だか分からないけどラインIDを伝えたら夜中の2時に登録してくれて、ウキウキの連絡が来た。後から知ったけどメールをたくさんくれたスティーブのお姉さんだった)。

妹も私も、行くと言ったら行くんだし、お土産だけ用意して、日付が近くなってから誰が来るんだろうね?となった次第。

LINEによると、
最初にメールをくれたスティーブを中心に紹介される初耳な名前に混じって、
『サチコ(通訳の出来る友人)』
と書いてあり、電話をくれた親しげなサチコは、まさかの他人だった(笑)

実際に会ってみるとそれぞれが大切にしている家族の写真を見せてくれたり、親族をひとりひとり紹介してくれたり。
若かりし頃の母の写真もたくさん持って来ていて、興味深かった。

通訳じゃないんかい!と突っ込みたくなるくらいサチコは日本食を堪能してたけども、親族の中にもカタコトの日本語を話せる人がいたりして、そこで困るとサチコ登場で面白かった。

私も紙とペンを出して、母から私たち姉妹、その夫、その子供…とローマ字で家系図を書いてみせたら撮影されていたw

それぞれの年齢も書き加えたので、ウチの次女が35歳、からの末っ子の息子が13歳と書いたところで『???』の空気を感じたので、この子は私が45歳で産んだんだよと伝えると『わーーお!』と盛り上がっていた。
『わーお』なんだな、アメリカ人ぽい…とニヤッとしたアタクシ。

デザートの器の下に敷かれていた折り紙で鶴を折って見せるとそれぞれ真剣に鶴を折り始め、幼少期に教えてもらったのか、案外覚えてるわねと笑っていた。

別れ際に母に電話をしてみんなと少し話したらと。
留学していた頃から知っている人たちは泣きながら話していて、よかったねぇとひと安心。

受話器から漏れる母の英語に、妹と
「なんだよ英語でしゃべってんじゃん!来ればよかったのにねぇ」
と苦笑い。

みんなとハグして、またねと言って帰って来た。

妹とスタバに寄り、あれやこれや話しつつ、親も歳を取ったけど、私たちもなかなかだよ、次世代の子供たちで誰かアメリカに行くかねぇと想像した。

孫たちも息子も、オタク気質多めだからね
息子なんて「俺は地元で静かに生きていく」と今から言っちゃってるし(爆笑)

兎にも角にも、ドタバタながらも楽しい1日だった。


では、またね!

このお魚バッグいっぱいにドライフルーツ貰ったのw

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