①アパレルを辞めて転職を考えている君へ(アパレルを退くきっかけとその後)
服飾の専門学校を卒業し、アパレルの会社を複数渡り歩き、現在ではフリーランスとして独立した僕の「アパレルを退くきっかけ」と「その後」、「現在」を綴っています。
いま、アパレル業界で働いていて、将来どうしようか迷っている子の参考になれば幸いです。
服飾専門卒~最後に勤めた会社まで
好きなことを仕事にする。
オシャレをすることがことが楽しくて仕方なかった高校生だった僕は、大学受験を失敗し服飾の専門学校に入りました。もし大学に受かったとしても卒業後アパレル業界に足を入れたことでしょう。
僕の販売人生は服飾の専門学校卒業し、靴屋に始まり、大手のアパレル会社、誰もが知ってるような大手のセレクトショップ、地場のメンズとレディースを展開するアパレル会社、そして最後に勤めたのは、設立から2年目と言う小さな路面店からのスタートでした。
その店があったのは繁華街から離れたとある通りのビルの4階という、お世辞にも立地が良いとは言えないところにありました。
入社した2008年と言えば、現在とは異なりECサイトを展開する店はまだ少ない状態でした。
その当時からECサイトを展開し店を開けながらもほとんどの時間をウェブのデザインや商品のアップ、ブログのアップに費やしました。
複数のアパレル会社を渡り歩いた僕には、ウェブのスキルなど全くなく1から学び、死に物狂いでインプットアウトプットを繰り返しました。
売り場重視である会社がまだまだ多かったため、いち早く抜け出した僕らは、面白いようにECサイトの売り上げを伸ばし、会社の規模拡大にこぎつけました。
Eストア、おちゃのこネット、楽天、今ではちょっと懐かしいビッターズ、ヤフオクなどあらゆるところで商品を展開し繰り返すうちにウェブを見て店頭に訪れるお客様も増え、右肩上がりに売り上げを伸ばし続けました。
当時の僕は店頭での販売業務、新規ブランドの開拓、国内における展示会ベースのバイイング、ウェブ業務、店長業務、人材育成など様々な業務を兼任していました。
1日十数時間の労働、家に帰ってもECサイトをいじり、隙間の時間でクラブに入り浸り、時にチャラチャラし、ちょっとだけbjとしても店のイベントやその他の小さなイベントに出ていました。
それから数年後、店舗数も増え設立当初3人だったスタッフも十数人まで増えました。
当たり前のように月に300時間以上の労働、今思えばかなりのブラック具合ですが、当時は売り上げが上がるのが楽しく、イカレたように仕事にのめり込む日々を繰り返していました。
無敵からのポンコツ
20代後半から30代前半までは、僕は無敵ではないのかと思うほどがむしゃらに働いていたものの、歳を重ねるうちに年齢には逆らえないのか常に眠い常にきついといった体調不良が付きまとっていたにもかかわらず、それでも同じ日々を繰り返した日々。
ついに33歳に2回、過労で倒れてしまいました。
振り返ってみるとかなり無茶をしていたようですが、当時の僕はそれを無茶だと感じておらず、すぐ復帰しまた当たり前のように仕事をしていました。
そしてまた数ヶ月が経ったある日。
売り場の角にあるディスクに残ってECサイトに商品のアップをしていた僕と後輩の2人。
洋服の採寸をしようと、メジャーを首にかけ店頭に置いてある商品まで歩いている途中…まさかの3度目の倒れると言うハプニングに見舞われました。それが34歳の11月。
倒れた瞬間の意識はなく、目を覚ました時は顎と膝にかなり痛みを感じました。
どうやら膝から崩れ落ち顎を強打したようです。
そのまま病院に向かったものの、深夜だったためまともな診察はできず、翌朝改めて病院に向かいました。
診断されたのは、過労と過度な睡眠不足。
数日安静するようにと言われ、久しぶりにぐっすり寝たと感じたのを今でも覚えています。
3日目の朝、そろそろ復帰しないととシャワーを浴びようと浴室へ向かう途中、どうやらまた倒れてしまったようです。
たまたまそばにいてくれた当時の彼女がいなかったら、倒れたのに気づくのはかなり後になったでしょう。
どうやら単なる過労ではなく、とある病気になっていたのでした。
それから休養を余儀なくされ、通院する日々。
休んでいる間も携帯は何度も鳴り、そんなことも自分でできないのかと思いながら疲れ切った状況の中、処理の仕方や、操作方法を教えるといった、完全に休養では無いような日々が続く。
当時学ばされた2つのこと
この時までに僕は大きく2つの大切なことを学ぶこととなります。
様々な業務を兼任していたため、会社内の不明点は僕に聞けば何でもわかると言う状態になっていました。
こうした体制を自ら作ってしまったため、部下が育っていなかったということに気づかされたのが1つ。
ちょっと休めばまたバリバリ働くことができると自分の体力を過信していたというのが2つ。
今思えば、良かれと思ってバリバリ働いていたことが逆にスタッフの成長を妨げ、このように現場からやむを得ず離れなければいけない事態になったときに会社全体に損失を与えてしまうことになりました。
ぶっ倒れてたら2ヶ月経過
倒れてから2ヶ月後、病院からの職場復帰の許可をもらう1週間前。
社長からいちど役職を取り、定時で帰り体調を整えるのはどうかと提案をしてもらいました。
そしてそれから1週間後、やっと職場復帰の許可をもらい、明日から正式に復帰する旨を伝えようとする直前、向こう側からマンションの近くまで来るようにと電話ありました。
1週間前に行った事は白紙に戻され、伝えられたのは解雇。
この件に関しては様々な複雑な思いがありますが、ここではスルーさせていただきます。
僕が長期間売り場にいないことを知った数人のお客さんからはSNSのダイレクトメールを利用し接触してくることが増えました。
すぐに返答することができず、退職する旨を公開したのは2015年1月末。
不本意ながらブログでの通知とありました。これまで数多くのショップの中でも僕のいる店を選んでたくさんの商品を買っていただき、ご贔屓いただいたお客さんに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
20代前半から35歳になる年の1月の末、こうして僕のアパレル人生が幕を閉じることとなります。
その後さらに2ヶ月完全に休養に専念し、それと同時にそれまで全くしていなかった読書をする日々。
この先どうすればいいのかもわからなくなるほどの大きな不安にも襲われたのをでもよく覚えています。
翼がポッキリ折れた僕は、このまま堕落してしまうのではと思ってしまうこともありましたが、そこは仕事バカ。
数カ月全く仕事をしないと言うのはある意味地獄です。
ある程度体調も回復し、今度はうずうずし始めます。
人生のターニングポイント
ここで訪れた人生の重要なターニングポイント。
また別の会社でアパレルを続け、前のような役職まで一気にのし上がるか、それとも全く違う職業に転職するか。
35歳。転職ともなると35歳以上はかなり手ごわくなります。実際に複数社全く異なる会社を受けてみましたが、書類選考で落ちる場合、最終面接で落ちる場合など様々でした。
これまでのアパレルの会社での渡歩きの際、ほとんどが即採用もしくは引き抜きだったため、転職と言う現実の厳しさを目の当たりにします。
誰もが予想するようにアパレルのショップを開業する………
とは全く考えませんでした。
大してない預金と融資を利用して、35歳からアパレルのショップを開業すると言う魅力が当時の僕にはもうかけらもありませんでした。
実を言うと、30まで様々な会社でスキルを磨き、31でアパレルのショップを開業するというのが昔の夢でしたが最後に入ったアパレルの会社で、このままこの小さな会社を大きくするのが楽しいと感じ、ショップを開業する夢は諦めたと言うよりは切り替えたと表現する方が正しいかと思います。
複数のアパレルの会社を渡り歩いたのはこのためです。実際に渡り歩いた会社で副店長を1社その他は店長以上など全て役職についています。
現実はどうでしょう。最終的には解雇され35これから何をしようかという、ぶっちゃけかなりピンチです。
人生のターニングポイントに立たされた僕は、この後フリーランスとして独立し今に至ります。
つづく・・・