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大西祝「批評論」現代語訳

大西祝が、明治21年5月に『国民之友』に発表した「批評論」の現代語訳である。大西祝は、当時まだ23歳の東京大学の学生であり、「批評論」は一般向けの雑誌に発表した初めての評論といえるものであった。

大西祝の専門は哲学であるが、詩歌を初め文芸への造詣が深く文芸評論の分野でも多くの仕事を残している。後に早稲田大学文学部の草創期を坪内逍遙とともに支え、その門下から島村抱月、綱島梁川など早稲田文学派とも言われる多くの文芸評論家を輩出した。

島崎藤村の自伝的な小説『桜の実の熟する時』の中に、明治23年7月に明治学院で開催されたYMCA主催の夏期学校に出席した時のことが書かれている。

「日本にある基督教界の最高の知識をほとんど網羅した夏期学校の講演も佳境に入ってきた。午前と午後とに幾人かの講師に接し、幾回かの講演を聴いた人たちはチャペルを出て休憩する時であった。・・・やがてまたベルの音が講堂の階下の入口の方で鳴った。・・・チャペルの方へ行く講師の一人が捨吉(島崎藤村)達の見ている前を通った。・・・まだその日の講演を受持つ S 学士(大西祝、S は操山の号からか)が通らなかった。初めて批評というものの意味を高めたとも言いうるあの少壮な哲学者の講演こそ、捨吉達の待ち設けていたものである。そのうちに、すぐれて広い額にやわらかな髪を撫でつけセンシチイヴな眼付をした学士が人を分けて通った。「ああ Sさんだ」と捨吉は言って見て、菅(戸川秋骨)と顔を見合わせた。」

大西の仕事は、2013、4年に小坂国継の編集により、哲学篇、評論篇、倫理学篇の3巻からなる『大西祝選集』(岩波文庫)にまとめられた。この現代語訳の底本としても、『大西祝選集Ⅱ(評論篇)』に所収のものを用いた。

 現代語訳「批評論」

大西祝 著、上河内岳夫 現代語訳 

1. 創作と批評

 名批評が得がたいことは、ほとんど名作が得がたいことに劣らない。「ハムレット」を批評する者にゲーテのような者がいて、その批評の至妙なことは、マコーレーに嘆美と絶望のほかは考えられないようにさせた。されどもシェイクスピアがゲーテを得るまでには、ほとんど二百年を経過せざるを得なかった。そもそも文学及び美術上の創作は、主として構築的な作用に属し、理解的な慧眼をもって、その構築の優れた所を的確に言い表すのは、まさしく批評家の得意とする所である。批評家と創作家とは、すこぶるその才能の趣を異にすることから、一人でこの両者の極点まで達するのは、ほとんど望むことができない難事である。古来、この両種の才能を兼備した者で、ゲーテもしくはレッシングのような者は極めて稀である。彼のバイロンが詩を作ると、その音調は壮快で、その詩句は有力で、あたかも一種の魔法のようであるが、一旦心をひそめて詩文の批評をしようとすると、その言うことが極めて拙く、ことごとく誤りである。彼が歌うと天使のようで、彼が考えると三歳の子供に等しい。そもそも詩才が動くがゆえに詩人は歌う、そうではあるが必ずしも自らその由来する所を知らないのである。詩人はよく美妙を直覚する[直接に感じ知る]が、これを理解する者は批評家である。詩人はあたかも神明に通じる者のように、自らそのことわりを解せずに、よく天地の美妙を開き、よくその真理を的確に言い表す。詩人のためにそのことわりを解する者は批評家であり、詩人は美妙をとってこれをその作中に宿らせる。彼はもとより作中の美妙を知る。しかしながら必ずしもその美しい理由を解釈できるわけではない。これを解釈する者は批評家である。そうであれば詩人は天然を解する者、批評家は詩人を解する者と言ってよいであろう。この詩人とその批評家との関係を推察すれば、概ねそれ以外の創作家とその批評家との関係を知るのに十分である。

 そうであるから批評家は創作家のために殿しんがりの位置にあるが、またよくこの先駆となる栄誉を負っている。確かに名批評は名作の後に出現するだけではなく、またよく未来の名作を誘引する力がある。批評は単に往時を顧みることに止まらず、また将来を指揮する力がある。批評家は自分自身では創作をしないが、後世の創作家に教えて望みのある行路を取らせることができる。さらにそもそも文学の歴史において創作の時代と批評の時代とはすこぶるその趣を異にする所があり、一国の文学がもし批評の時代にある時には創作は敢えて望むべきではなく、むしろこのために準備をすべきである。創作の時代は、招いてすぐに来るものではなく、それが来るかは深く国家百般の情況に関係する。彼の「エリザベス時代」[エリザベス朝]のイギリス文学におけるように、また彼の「ゲーテ・シラー時代」のドイツ文学におけるように、その例は古来どんなに多くあるだろうか。そのような創作時代の由来となるものはもとより一つでは十分ではないが、一般の国民が新鮮な思想を呼吸し、活発な精神的な運動を始めるにおいては、その国の文学は望むらくは創作の時代に近いのではないか。この時に当たって社会に飛び回る種々雑多な思想を判別し批評し、その真価を明らかにして、その時の思想界に先立つ者はまさしく批評家である。この時に当たって草を切り土を返し種をまいて、将来の文華を招来する者はまさしく批評家である。まさに来ようとする文華の遅速とその状態は、大いにこれに先立つ批評の如何に関係する。両者が相関する所が甚だ親密であることを知らねばならない。

 このように創作の時代は、批評の時代と分離すべきものではない。批評家をいて創作家を得ようとするのは実になしがたいことであるが、もしその技能の高下を論じると、前者[批評家]が後者[創作家]に一歩を譲ることはまた少しも疑いを容れないだろう。確かに文学の世界において最高の勲章を受ける者は創作家であるが、これを授ける者は批評家である。

2. 批評の職分

 批評が創作に関係する所がどうであるかを知れば、その職分はそれにしたがって推察して知ることができよう。その職分は他にない、一言をもって尽くすことができる。「在るものを、在りのままに見ること」、これである。このことは至ってなしやすいように見えるだろうが、ひとたび深くそのことが真に何であるかを考えれば、それが極めて難事であることを認識できよう。確かに事物を創作するには一種の才能を必要とするように、その創作の真相を見るにもまた一種の才能がなくてはならない。事物の相を認識するには、あたかも鏡面が物象を受けるように、曇りがなく凹凸がない者にして初めて、その真相を映すことができ、知力の発達が円満で心情の感応が広い者にして初めて、その真相を認識することができるだろう。かつまた事物の真相はしばしばその表面に出現せず、むしろその内部に埋没するがゆえに、慧眼を持つのでなければこれを発見することができない。その眼光は事物の全面にわたると共に、その根底に達しなければならない。それゆえ批評家が文学上の創作を品評し、その真相を明らかにし、その優れた所を的確に言い表すのは実になしがたいことであると言えるだろう。名批評が得がたいことは、どうして怪しむに足りるだろうか。

 そうであるならば批評家はどのような作用によって文学的創作の真相を発見できるのか。今その作用を分析して二段階とすることができるだろう。第一は、創作家と同じ感情になることであり、第二は、その創作家の仕事を、自分が所有する最高の標準に照らすことである。人は常に、「批評はすべからく局外の人に委託すべし」と言う。おそらくその当局者はややもすれば事の一方に執着して、公平な判断を失うことがあるからである。されどもこれは、ただ真実の半ばを言うにすぎない。なぜならば当局者であるのでなければ、そのことの内実や隠微の辺に通じがたく、したがって皮相の見解を下すことが多いからである。そうであるならば批評家たる者は、先ず身を創作家の位置に置いて、その考えを自らさらに考え、その感覚を自らさらに感覚し、全く彼と同じ感情となって、言わば一旦は彼は創作家に変わらなければならない。このようにして初めてその思想と感情の秘密の辺を探ることができて、少しも遺憾がないようになるだろう。されども一度身を創作家の位置に置いた上は、また翼をうって理想的な上地に上り、最高の標準に照らして、その創作家の仕事に絶対的な批評を下さなければならない。すなわち一度は近づき一度は遠ざかり、一度は親友になり一度は純然たる他人とならなくてはならない。大自在の心のない者は、どうしてこれをなすことができるだろうか。単に心が自在であるだけではなく、非凡な知力と感応を備える者でなければ、文学上の最高の標準を発見し、かつ広く創作家に対して同じ感情になることはできないのである。

3. 批評の範囲

 以上で論じた所は、専ら文学の批評に関するが、批評というものは広くこれを解すると、独り文学に限定されない。美術には美術の批評があり、哲学には哲学の批評があり、創作のある所に批評のないものはない。かつそもそも歴史は一種の批評に他ならず、あるいは国家の歴史、あるいは文学の歴史、あるいは学術の歴史、みなこれは既往の事実を批評するものと言ってよいのである。まさに社会に流布しようとする思想があると、ここで最も欠くべからざるものはこれの批評である。その思想がもし真実の価値があれば、よろしくこれに印をつけて思想界の貨幣としなければならない。そうしてこれに印をつける者はすなわち批評である。かつそもそも批評の職分は、その批評を下す事柄にしたがって、多少その趣を異にするので、文学的著作の批評家と哲学的もしくはその他の学術的著作の批評家とは、その間におのずから差別があると言っても、その批評家である本体においては、以上論じた所と概ね相違はないだろう。

4.何を批評すべきか

 現今の我が国は隠遁いんとんの眠りから覚めてきて、まさに新鮮な思想を呼吸しようとする。西洋の思想は、波濤はとうが巻いてくるように、まさに我が国中にみなぎろうとする。我が国の人は、まさに活発な精神活動をなそうとする。我が国の文学は将来に望みがあるもののようだ。この時に当たり世間の人がやや批評の必要を感じてきたのは、もとより当然のことであるとする。そもそもこの1、2年の間に新聞雑誌の紙面を一変したもので、恐らくは「批評」という文字の上に出るものはないだろう。小説の翻訳があるごとに、諸々の新聞雑誌は、これに多少の批評を下さないことはない。朝に生まれて夕べに死すというカゲロウに等しい小冊子でさえも、なお丁寧に批評する新聞屋がある。毎月出版の雑誌で批評を専門とする者さえあるようになった。それゆえこの批評の流行につれて、身に速成の神験術まじないを行って、一変して批評家となりすます者もあるのではないか。私は批評家であろうと思う者がますます多かろうことを希望して止まない。ただ彼らに向かって質問して言おう「何ごとを批評しようと思うのか」と。人はあるいは新聞雑誌の批評を非難して「決まり文句の挨拶にすぎない」と言うが、その批評を責めるのに先立って、批評される著書の価値を検討しなければならない。今日の著作の中で、細密で荘厳な批評に値するものがどれだけあるだろうか。我が国の文学が、なお振るわないことは、例え批評をもって一世に鳴らんと思う俊才があっても、その慧眼を用いる所がないのをどうするのか。いまだ名作がないのに、どうして名批評がありえようか。

 それならば今日の批評家であろうと思う者は、まさに何を批評しようと思うのか。その思う所は、小説の訳書が出るたびに、これに数言の愛憎を呈しようとすることにあるのか。寺子屋の文字にホジクリ批評を下そうとするのにあるのか。それもあるいは益があるかもしれない。されどもこれはただ批評の末端にすぎない。もしまたその思う所は、筆を飛ばせて政治・経済・詩文・小説・歴史・哲学の近著にことごとく通り一遍の批評を下し、なお飽き足らずに数学の書物までを品評しようとするのであるか。その批評家が多能であることは、あるいは「八人芸をするような」[ものまねの芸]との世間の大評判を博するのに十分であろう。その批評の効能は少なくとも「千金丹」位[「万金丹」ほどではない]はあるかもしれない。されどもすべてその種類の批評家は、私が言う所の批評家ではないのである。我が国の文化の先導者であろうと思う批評家は、よろしく活眼を開いて今日の思想界を洞察せよ。よくその真相を看破することができる者が、私の言う所の批評家であり得る者である。

5.我が国の思想界

 今後、我が国の文化の基礎となり、その動力となる思想に三種がある。そのうちの二つは既に過去に発達したもの、一つは過去に発達し現代に発達しなお未来に発達しようとするものである。過去に発達した思想とは、中国及びインドの思想を言う。人は、しばしば「東洋の思想」という一語をもって、この二種の思想を合わせて呼んでいるが、これは大いに当を失する嫌いがある。仮初めにもこの両者の間に判然とした差別があることを忘れてはならない。そもそも中国思想の骨髄であるものは儒教であり、儒教は我が国を感化し終わって、既にその力をあましていない。インド思想の大いに我が国に影響したものは仏法である。仏法もまた既にその感化力を用いつくしたもののようだが、思うになお幾分の余す所がないわけではない。その余す所とは、すなわちその哲学的な思想である。従来いやしくも文字を知る者で『四書』(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)を読まない者はなかったであろう。『仏典』になると専門の僧侶を除いては学者でも、そのことわりに通じる者は甚だ稀である。たしかに実際的な仏教は既に我が国を感化し終わったけれども、理論的な仏教はなおその思想界の一隅に止まっている。

 西洋思想が我が国を感化してきてからまだ多数の年月を経ていないのに、その成就した結果においては大いに驚愕すべきものが少なくない。我が国の将来は必ずや永くその感化を受けるだろう。

 そもそも西洋の今日の文明は、ギリシア及びローマの文化を基本としており、その思想界の最高位である哲学はギリシアの学問とユダヤの思想が合わさって生まれた結果である。そうして最近またインドの思想が、ややその間に加わらんとするもののようである。既にショーペンハウエル及びハルトマンの哲学と言ったものは、最も著しくその思想の影響を受けたものと言っていいのである。今後、その影響は西洋の思想界にどのような現象を呈するだろうか。今ここでこれを予言することはできないが、必ずや西洋はなお東洋のために多少の感化を受けるであろう。されどもその感化は、これを東洋が西洋に仰ぐものに比較すれば、その大小強弱は言わなくても明らかである。

 今や我が東洋の一孤島は、外には西洋思想が襲ってくると言うことがあり、内には中国・インドの思想がなおその城壁を固くするということがある。この三者は、あるいは遂に相和する所があるかもしれない、あるいは全く相容れない所があるかもしれない。その闘争、その調和は、我が国の将来の思想界の歴史である。もし我が日本が一種特別の新思想を開発できるならば、必ずやその闘争、その調和の間においてこれをなすであろう。我が国の今日の外交的政治家は、イギリス・フランス・ロシアが東洋に示す一挙一動を見て、日本の将来はどうであるか、東洋の運命はどうであるかと密かに恐れる所があるもののようである。我が国の今日の学者たる者は、中国の思想を明らかにし、インドの思想を究め、西洋の思想に通暁し、もって我が国の将来のために思慮しなければならない。政治家の配慮はあちらにあり、学者の思慮はここにあるのである。

6.批評を要するもの

 そもそも批評を要するものは甚だ多い。されども概言すれば、三種とすることができるだろう。第一は、従来から我が国に存在するもの、すなわち中国・インドの思想およびその結合から生じた文学など、第二は、西洋の思想、第三は、西洋の思想と従来の思想が相合して現今に現れる現象である。

 この中の第一は、久しく我が国の人が所有かつ使用してきたものであるが、これを批評的に論じてその価値を判定し、その真相を認めることは、概ねいまだ我らのなしていない所である。そうしてこれをなそうとするには、先ず西洋の思想を借りて、その批評法にならわなければならない。上述の中の第三は、概して西洋思想のこぼれ出たものに過ぎないので、よく西洋の思想を知る者はまたよくこれの批評を下すことができるだろう。そうであるならば今日批評家である者が最も心を用いるべきは、上述の第二に掲げた西洋の思想である。人は、あるいは私の言葉を見て、この西洋学が盛んな今日においては、ことさら言うに及ばないことと思わないだろうか。されども今日我が国の学者と名づける者の中に、よく西洋の思想を批評することができる者があるだろうか。もし西洋の思想を批評することが真に何であるかを知る人があれば、必ずや私の言葉が無用ではないことを認知するにちがいない。そもそも西洋の思想を批評するのは、実に甚だしい難事である。なぜならば先ずその思想の真相を認めなければならず、そうしてこれを認めるには、ほぼ西洋の学者と同等の位置に立たなければならない。これはどうして容易になせることであろうか。そうであるがゆえに今日批評を仕事とする者も、少し綿密な議論に遭遇すれば「これを批評するのは、まさしく西洋の大家を批評することである、一朝に論じることはできない」として、後ずさりする者のみが多いのではないか。

 次に、西洋の思想を批評するには、その批評の範囲に属する事柄は、単に一国一代に止まらず、広くかつつぶさにこれを研究しなければならない。もとより一人で西洋の百般の思想を批評するのは、敢えてなし得ることではないが、その選択した範囲に関することのみは、広くかつ具にこれを攻究することが最も必要である。例えばイギリスの文学を批評しようと思う者は、単にその国の文学に止まらず、少なくてもドイツ・フランスの文学に渡り、また多少はギリシア・ローマ古代の文学にも通じなければならない。なぜならば批評は専ら比較的になすべきものであるからである。そうであれば批評家であろうと思う者は、よろしくその目途のために、その一生を犠牲にするという覚悟がなくてはならない。今日、我が国の学者と称する者の多くは、西洋の思想を通訳する者に過ぎず、その思想の批評家であろうとする者に過ぎない。ある人はこれを嘆いて「今日の日本人は生国を忘れて、外国のみを知るという傾向がある」と言っているけれども、私は返って我が国の人が外国を知ることが甚だ不十分であることを嘆かないわけにはいかない。もとよりビスマルクの政略、フランス内閣の更迭といったことは、最も注意を引きやすい事件で、世間にこれを論じる士に乏しくないだろう。されども西洋文化の裏面であるその思想界の大勢になると、よくこれを知り、よくこれを批評し、よくこれを通訳する者は、どれくらいあるだろうか。もしよくこれをなす人があれば、真に我が国の先師と仰ぐべき大家である。西洋の思想を通訳することは、誰がこれを容易になし得ることだと言えるだろうか。もとよりゴマカシの通訳を言うのではない。

7.通訳の誤謬

 そもそも西洋の思想を通訳するのは、少しもなし易いことではない。そうであればその通訳に誤謬が多いこともさらに怪しむに足りないのである。試みに我が国の思想界の通観をお願いする。その誤謬の多いことは、どれほどであろうか。ここにその一例を挙げると、従来英学が隆盛になるのとともに、これに参入する者は、概ねみなミル・スペンサーを見て西洋学問の標準であり、西洋学者の代表者であると思ったのではないだろうか。現今の学生の中になお、この誤謬に支配される者が少なくないだろう。このような誤謬は思うにどこから来るのか。西洋の思想を誤って通訳したことから来たのではないか。かつまた近ごろの著書・小冊子の中に通訳の誤謬が多いことは、ことさらここで論証する必要はないだろう。されども試みにその最も甚だしいものを挙げると、仁田桂次郎氏[英文学者]という人の著述と称する『哲学管見』という小冊子がある。もとより管見には相違がないだろうが、私はその余りに管見であることに一驚を喫したのである。この書物がもしゴマカシを主意とするならば、何とも非難の仕方はない。されども仮初めにも哲学を論じる書物、仮初めにも事実を講じて、これを人に教えようとする書物である以上は、どうして少し筆誅を加えずに措くことができるだろうか。私はその書物の中の「哲学史大意」と題する一項を見ると、その紙数はわずかに16頁に過ぎず、そうしてその中にギリシア哲学史を記述したものが8頁あり、わずかこの8頁に中に一目瞭然の誤謬が少なくとも7、8個所を発見することができる。例えばターレスのことを記して「幾何学・天文学は、この人が初めて発明する所である」と言い、またプラトンを論じて「その哲学の基本は、宇宙の第一原因を信じることにある」と言い、また「プラトンは物体を見て、ただ神の観念となす」と言い、また彼は「天地万物をとって唯心のみとして、天地万物は虚無である」とまで論及すると言ったことは、一渡り哲学史を読む者が決してなしえない誤謬である。またその近世哲学史を論じる段には、ただベーコンとプラトンとを奇怪に比較するのに止まって、ブルーノあるいはデカルトの名もなければ、スピノザ・ライプニッツの名もなく、カント・ヘーゲルの名さえ見えない。ああよくもこのような書物を書く人があるものだ。そうして著者は自ら言う、「天はいまだ我が著述を絶たないのである。我が生命は必ず存在して、その志をなすことができるだろう」と。我が国今日の著者・学者と名づける者は、どうしてややもすればこのような言語を発するのか、どうして好んで「ラビ」と自称するのか。彼らのなす所は、あたかも町の子供が相互に誇称して「我は太閤である」「我はナポレオンである」と言うのに似ている。私はこれを名づけて「著者の不道徳」と言う。彼らが学ぶべき徳義は、先ずしばらく沈黙することである。

 我が国の事物は日々にその面目を改め、文学といったものも、進んで退くことのない有様である。試みに十年前の新聞を取り、これを今時の新聞と比較すれば、その進歩がどうであるかを知るのに十分である。されどもなお我が国の文学は、言わば小人国の文学である。学者の考える所、著作家の著す所、批評家の批評する所は、その規模の広大で深遠なものがどのくらいあるだろうか。学者は洋書の抜き書きをなし、著作家は西洋小説の焼き直しをなし、批評家は真似まねのような批評をなしている。出来はいかに粗末であっても、ただ手間のかからないのが肝要で、事実と相違する点があってもただ大ゲサに書いたのが最もよい。このように書かなければ公衆の愛顧を得ることができないのをどうすればいいのか。我が国の今日の文学は、我が国の今日に相応する文学である。どうしてみだりに著作家をとがめることができるだろうか。また出し抜けに公衆を責めることができるだろうか。我らはすなわちその公衆もしくはその著作家であることを忘れてはならない。三年経てば三歳になるだろう、我が国の文学にもなお幾分の年月を仮に与えよ。だから私はみだりに今日の時代をとがめず、ただこれを知れと言う。人は自分を知る者は少ない、今日の時代にあってよく今日の時代を知る者がどのくらいあるだろうか。今日の時代を知るには、これを超越しなければならない。これを超越するには、先ず進歩する西洋の思想に通じなければならない。これを超越し、これを知り、これの教導者たらんと思う者は、細に密に明に西洋の思想を究め、そうしてこれを批評しなければならない。この一語はもって我が国の今日の思想界の方針とするのに十分であると信じる。

(明治21年5月『国民之友』第21号)

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