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高校サッカー選手権優勝と4本の注射

どうも上條宏晃です。
今回は前回の2007年高校サッカー選手権大会の舞台裏の続きを書きたいと思います。

簡単に前回の話しをザックリ言うと、優勝候補と言われていながら大会前に全然調子の上がらない流経柏、そのまま本大会へ→なんとか初戦を勝利する。
しかし僕自身は前半で大ケガをして負傷交代してしまう。
なんとか初戦を勝利し、決勝の舞台辿り着く。
こんな感じかな?笑
ザックリ過ぎてごめんなさい・・・。
わからない人は前回をお読み頂ければ嬉しいです。

https://note.com/kamijo0422/n/n3e28d71ce21a

決勝前日

では決勝前日から書きたいと思います。
決勝前日、僕の足の状態も少しずつよくなり何とかガチガチにテーピングして痛み止めを飲めば走れるまでは回復出来ていました。
本当に色々な人の手助けでなんとかここまでこれた感じでした。
最後の軽めの前日練習でやっとみんなとほとんど同じ練習をした記憶があります。

ただ感覚としてはやっぱりかなり気を使って庇いながら動かないとダメだなぁ~という感覚でしたね。
全力で走ったりシュート打ったりするのは、本番だけにしようと思っていました。

当時、本田監督もかなり僕を使うか迷ったと思います。

やっぱり筋トレなど軽いジョギングはしていましたが、11日も間が空いていたので試合勘などの事もありますし足も万全じゃないですし。

でもその日の夜に監督の部屋に呼ばれてすぐに「明日は行けるか?」っと聞かれました。
僕は二つ返事で「はいっ!」と言いましたね。 
正直足の状態は関係なかったですね。笑

どうしても出たかったですから。

この日の舞台をどんなに夢みていたか、なんの為に3年間死ぬほどキツイ練習を耐えてきたのか、全てはこの日の為でした。
足が折れてでも、これでダメになってもいいから出たいという思いが強かったです。
前日はなんか興奮しててあまり寝れなかった記憶があるな。笑

4本の注射

そして当日僕たちは旅館からバスでピッチに迎うんですが、もうノリノリでしたね。
ゼブラとかだったかな?ラップ系をガンガン爆音で流してテンションみんなで上げていきましたね。
たぶん保戸田とか比嘉が流していたのかな?笑

僕はウォーミングアップに入り初めてダッシュとか切り返しとかを全力でやってみたけど、やっぱり痛かったですね。
それもそのはず実は大会終わってからしっかり検査したんですけど、捻挫のレベルだと一番ひどい状態だったんですよ。笑
通常全治2~3ヵ月かかるところを無理くり11日でやったんですから。笑
今考えるとかなり無茶苦茶でしたね。

でも僕自身はもう出来る気満々だったので、試合前に痛み止めを2本打ってもらいました。
右足の感覚はほとんど無くなったけど、ちょっとでも気にしたくなかったし、僕から打ってほしいって言いましたね。

そしてみんなでエンジンをしてピッチへ。

今でも忘れる事のないあの歓声、会場は藤枝東と流経柏と好カードだったこともあり超満員!
ピッチに入った瞬間歓声で身震いしたなぁ~。
不思議と緊張は全くなかったです。
何よりも絶対優勝して最後楽しもうっという気持ちの方が強かったと思います。

試合が始まると、最初のプレーとかで全然ボールが足についていなかったですね。
感覚がないからトラップするのもシュート打つのも最初は凄く戸惑いました。
今までに無い感覚、やりながら慣れていこうと思いましたね。
ただ開始してすぐにそんな僕にまたアクシデントが、最初のダッシュした時だったかな?
また靭帯が切れてしまったんですよ。
今でも覚えている音「ブチブチブチッ」っと。
ちょっと焦りましたが、痛み止め注射がきいていたので痛みは全くなかったです。
あとはアドレナリンでカバーでしたね。笑

前半に1点取った僕たちはいつも通りのプレーで、落ち着いていたし何よりみんな楽しんでいた感覚があるなぁ~。
前半が1対0で終わってロッカールームに戻った僕はすぐに靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、テーピングを外し、痛み止め注射を2本追加してもらいました。

後半に入ると僕たちの勢いはそのままに藤枝東を圧倒しましたね。
僕自身も細かいステップとかダッシュは全く気にならなかったです。
ただシュートだけが感覚が最後まで掴みきれなかったですね。泣
普通に点取りたかったなぁ~。

何分くらいだったかな?後半に2点追加したあと右足を庇いながらプレーしていたのもあり左足がつって途中交代しましたね。
元紀とは2年生の頃から相棒を組んでいて最後に一緒にプレーが出来て嬉しかったの覚えているなぁ~。
ここだけの話し僕たちは相棒でもありライバルでもあったのでみんなから仲悪いと言われていたんですよ。笑
けど、別にそんな事なくてみんなが言うから若干気まずくなるみたいな。笑
でも素直に言えるのは本当にいいパートナーだったし、なんだかんだやっぱり元紀が一番やりやすかったですしね。
それに点もバンバンとるし、シュートバリうまでしたね。笑
ザスパで頑張ってほしいですよね!!

かけがえない財産

試合も終わってみると4対0で優勝!!
本当に嬉しかったですね。
今まで3年間やってきたことが間違っていなかっ事、努力が報われた事、仲間とひとつの事を成し遂げた達成感。
先程も書きましたが、本当に地獄の3年間でしたから。
1億円あげるって言われてもあの3年間はもう過ごしたくないですね。笑

当時は気付きませんでしたが、今振り返ると全国大会優勝という経験よりも間違いなくこの3年間をやり切った経験が1番自分自身の財産になったと思っています。
メンタル的にも体力的にも全ての面で成長出来たと思います。
3年間で一体何キロ走ったんだろう?笑
米どんくらい食ったんだろう?笑

でも間違いなくこのやり切る経験が社会にも生きてきています。
これよりキツイ経験は今までしていないですね。笑

もちろん優勝という結果も当時は凄く嬉しかったですけど、今は結果よりもそこまで辿り着くまでの経験が役に立っていますね。
だから今の子達にも伝えたい、優勝出来なかったとしても君たちが送ったその3年間はお金では買えない財産になる。だから胸を張ってほしい。

その経験を生かせばどこに行っても通用すると。
スポーツを通して大人になり、それを活かして社会で活躍する人が沢山増えてくれる事でスポーツビジネスの成長、サッカー界の成長にも繋がると思います。 

今僕があの時の「優勝」ではなく「経験」を活かしてビジネスで頑張れているように。

あっ、あともう一つだけ最初のみんなで円になって百打一音をしている写真に僕はいません。笑
実はアドレナリンが出ていたのか足が痛くなってきてすぐにロッカールームに戻って治療してもらっていました。笑
これぞ裏話ですね。

以上、ご愛読ありがとうございます。

高校、大学で日本一になったプロサッカー選手のセカンドキャリアは地獄の始まりだった




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