低出生体重児で生まれた子どもが中学生になり、母として思うこと
私の子どもは早産で生まれた。体重は1,946gの低出生体重児である。小さな赤ちゃんだった子どもも、今では中学生になった。
赤ちゃんの頃はとにかく必死で子育てをしていたので、中学生になる姿なんて想像もできなかった。あれから10年以上の年月が過ぎ、いまの私の心は嵐が過ぎた凪のように穏やかだ。
私は低出生体重児を育ててきた母親として、小さく生まれた赤ちゃんのママの気持ちが誰よりも分かる。苦しくて仕方がなかった頃を振り返り、今だからこそ伝えられることをまとめてみた。
私は切迫早産で妊娠8か月頃から入院していたが、予定日よりも1か月余り早く子どもが生まれた。
陣痛が来た時、
「うちの病院では扱えないのでNICUのある病院に搬送します」
と言われ、まったく知らない市外の病院に救急搬送されることになった。
不安と陣痛に耐えながら救急車に乗っている時間は、永遠のように長く感じられた。
到着した病院の分娩室ではなぜかglobeの『DEPARTURES』が流れていた。眩しいほどのライトと、大音量の音楽。ますます混乱しながら、初めてのお産が始まった。
「おぎゃあ」
分娩室に入って30分後には元気な泣き声が聞こえた。
「ああ、この子は生きている」
と思った。
生まれてすぐNICUに入った子どもはそのまま1か月入院。その後もRSウイルスに感染したり、急に発熱したりして、生後3か月までに3度の入退院を繰り返した。
当時の私は不安と心配でまったく気が休まらず、桜が咲いたことにも気づかなかった。
生後3か月が過ぎて子どもの体調が安定してからは、周りの子どもと成長のスピードを比べて焦ったり、周囲の何気ない言葉に傷ついたりしていた。
1才を過ぎ、子どもが少し遅めながらも歩き出したら、今度はまったくじっとしていない。とにかく危なっかしくて目が離せない。子どもの成長に圧倒される日々が始まった。
小さく生まれたことによる心配は折に触れてあったし、これからもあるのかもしれない。だけど、何があっても受け止めて、共に生きていきたいと思っている。
低出生体重児のお子さんを持つママにおすすめしたいこと。
それは、同じ立場の人と交流すること。
低出生体重児を育てている母親には、同じ立場でなければ共感できない悩みや思いがたくさんある。一人だと苦しいことも、「そうだよね」「分かる分かる」と共感できる人がいたら、大きな支えになる。
私は今でも後悔していることがある。それは、NICUで一緒だったママと連絡先を交換しなかったこと。
NICUには他にも低出生体重児の赤ちゃんが何人かいたので、一人ではないという気持ちでいられた。でも、退院して自宅に帰った途端、強い孤独感に襲われた。
幸い、いまはネットで世界中の人とつながれる時代だ。離れたところに住んでいてもオンラインでコミュニケーションが取れる。ぜひ共感し合える仲間を見つけて、ママがホッとできる場所を作って欲しいと思う。
低出生体重児のママにしてほしくないこと。
それは、自分を責めること。
私のせいで、小さく生まれてしまった。
私のせいで、子どもに苦しい思いをさせている。
私のせいで、家に連れて帰ってあげられない。
私のせいで、みんなに心配や迷惑をかけている。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
子どもが赤ちゃんだった頃、私の心はこうした気持ちでいっぱいだった。私の家族はみんな優しかった。私は本当に恵まれていたと思う。ただ、自分が自分を一番許せなかった。
でも、ママが自分を責め続けたところで、喜ぶ人は誰ひとりいない。
生まれてきてくれてありがとう。
その気持ちだけで充分なのだと、いまは思える。
先日、子どもの靴を買いに行ったら、私の足のサイズと同じ大きさに成長していた。あんなに小さかった足が、よく大きくなったものだと胸がいっぱいになった。中学生になった子どもと接していて思うのは、
生まれてきてくれてありがとう。
ここまで育ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。
支えてくれた全ての人にも、ありがとう。
ということ。感謝の気持ち、それがすべて。
思い出すだけで涙が溢れてしまうような苦しい経験も、時間が経てば少しずつ穏やかな気持ちで振り返れるようになる。
小さく生まれたお子さんを頑張って育てているママたちに、これからもたくさんの笑顔が溢れますように。
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