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基本情報技術者試験に受かって考えたこと

基本情報技術者試験というものを受け、受かった。その過程で聞き上手に関連して考えたことをまとめてみたい。

基本情報技術者試験とは何か

国家試験「情報処理技術者試験」の区分の一つで、対象者は「高度IT人材となるために必要な基本的知識・技能を持ち、実践的な活用能力を身に付けた者」となっている。

主にプログラマー・システムエンジニアなど、ITを職業とする人向けの基本的な試験、という位置づけだ。ITユーザーとしての試験はITパスポートがあるので、ITを提供する側向けの試験ですよ、という位置づけがはっきりしている。

試験の中身はIT業界で働くために必要な基本的知識ということで離散数学や論理演算などから始まり、具体的な情報セキュリティやサーバ構成、ソフトウェアやアルゴリズムに関する知識も求められる。経営やマネジメントについての問題も出るため、かなり幅広い分野の試験だ。試験自体はすべて選択問題だが、2部制になっていてそれぞれ150分で知識だけでなく実際に計算できたり言語を埋めたりするなど、負担が大きめの試験ではある。

なぜ受けたのか?

知人が受けるからと、勉強会への参加者募集をかけていたのがきっかけだ。会社経営を行い、コンサルティングも手掛けている中で、より本質的にITとは何か、どういう原理で動いているのかを理解しておきたいと考えていたタイミングだった。しかし、単純に知識として単語や概念だけを学んでもあまり意味がなく、コンピュータが動いている動き方をイメージできるように、わが身の一部として身に着けたいという思いがあった。そうすると、単発的に読書をするなどだけでは不十分だし、それ以上の負荷をかけようとしても、締め切りや目標設定がないと動けないだろうという思いがあった。

そのため、試験を受けることにし、かつ勉強会という場に置くことでなんとか自分の弱い意思をだまして勉強できないか、となったわけだ。

基本情報技術者試験に受かって考えたこと (1)

結果として5か月程度の勉強で何とかなったわけだが、これは勉強会に参加させてもらい、毎日時間を決めて机に向かう習慣を作れたからだと思う。勉強会は、基本的に時間を決めて、その時間Zoomでつないでもくもくと勉強をするのがメイン。たまにお互い教え合ったり有識者を呼んで疑問をぶつけたりする。これがあったから合格できたのは間違いなく、勉強会のメンバーには改めて感謝したい。

文系・非IT人材が学ぶ意義

結果として、学んだことの意義は非常に大きかった。自分は大学の専攻は完全な文系、そのあと新卒で入った会社では一部IT業務をやることがあったり、ソフトウェア企業の経営に関わってもいたので、ことビジネス関連領域には縁があったと言えるかもしれない。とはいえ、二進数というものについて概念は知っていても、負の数をどう表現するかや、掛け算と割り算をどう行うか等の理解はよくわかっていなかったし、結局のところ電気信号がどうやって画面上に情報を映し、マウスでクリックするとどうやって情報を安全に人に届けているのか、などについて理解できていたとはいいがたい。そうしたところを包括的に、かつなるべく具体的に理解したかった。

そして、その試みは成功したと思う。もちろん根源的な理解とは言えないだろうが、二進数、論理演算については基本的なところが理解できたとは思える。「なぜコンピュータにとって二進数、16進数の都合がいいか」が、コンピュータは半導体でゼロか一の信号を渡しているから以上の、体感的な理解として「そりゃそうでしょ」という気もちを持てるようになった。

同様な理解をCPU,ハードウェア、ソフトウェア、セキュリティ、データベース、アルゴリズムについて自分なりに持てた。イメージとしての知識、いわば暗黙的な領域まで自分の知識とすることができたことが最大の収穫だった。

今後、これがすぐに仕事で活かされるのかというと、よくわからない。システム導入の是非や業務のIT化といった個別課題については、個別の知識や判断があればそれで十分ともいえるからだ。もちろん個別の事象についての理解が早くなったことはあるだろう。

より根本的に、暗黙的な理解が深まったことで、おそらく直接ITに関連しないように見える経営上の意思決定や、ビジネスを含む社会全体の現状認識に正の影響を与えるのではないかと考えている(期待している)。

感銘を受けたこと

今回試験を受けて、非常に感銘を受けた。端的にいって、試験勉強は非常に難しく、笑えるほど意味の分からない文章に何度も遭遇した。ただ、それを丁寧に紐解いていくことで、必ず理解できるということも分かった。現在でも理解できていない文章や問題はあるが、それも努力すれば理解できるようになるということはわかった。情報処理とは、多くの人間が少しずつ知恵を積み上げてきて、ものすごく効率的に、正しく物事を進める手順なのだなあと深く深く納得し、人類というものに対する尊敬の念を強くした。

例えば浮動小数点について。

わざわざ数をαx(2のβ乗)で表現する意味も意義も分からない。わかりにくくしてるだけな気がする。だけど自分で10進数を浮動小数点数に変換する作業をして、できるようになると、たしかにすごくでかい数もすごく小さい数も一定のビットで表現できるのが分かる。感動する。人類の知恵にびびる。

そんなことの積み上げで情報処理技術ができていて、そして実際に我々の生活を豊かにしていることに震えた。社会人になりたての時に簿記の勉強をし、三表連動に感動したわけだが、すっかり忘れていたことを思い出した。

基本情報技術者試験に受かって考えたこと (2)

これが「基本」であること

そして人生短いと思うのは、これは「基本」情報技術者であることだ。まだまだ道のりは長く、険しい。途方もない知識と知恵が人類にあり、それを学ぶには自分一人では微力すぎると改めて感じた。しかもこれは情報処理に限った話であり、同様の知識の深さがありとあらゆる学問分野、仕事の分野、趣味の分野、学問でも仕事でも趣味でもない分野に広がっている。人間が一生のうちに知ることができる範囲はあまりにも狭くて浅い。

一方では、この試験は基本的にプログラマーやSEの1年目、2年目や情報処理系の大学生が受けている試験で、毎年数万人の資格者が出ている。多くの人がこの内容を理解しているというのも新鮮かつ、自分がいかにものを知らないのかと感じさせることだった。

そう、この試験を通じて一番学んだことは、自分がいかにものを知らないかを知ったことだ。それまでの自分は、専門ではないもののそれなりにITに近い場所にいて、VBAやマクロなら少々いじったり、AIの勉強はしたりして、知っている側の人間だという意識があった。そんなことは間違っていて、無知の知は頭では理解していたが、心はそうなっていなかった。

それをあっさり打ち砕くことができたことに最大の価値があった。

聞き上手における「私は知らない」と思うこと

聞き上手において、「私は知らない」と思うことは致命的に重要だ。聞き上手の心構えの三要素は関心、共感、受容だが、関心を持ち続けるには、私は知らないと思っていなければならない。

たとえば「離婚するかどうか悩んでるんです」という人がいたときに、「ああ、離婚問題ね。知ってる知ってる」となったら、その人の気持ちそのものに寄り添って聞くことは、もうできない。だから、「私は知らない」ことを常に頭の中に信念として持ち続ける必要がある。

だが、「いかに知らないか」を自分でイメージすることは難しい。だって知らないから。人は知らないことはイメージできない。

今回気づいたのは、「年間何万人も受かる試験の内容について私は知らないということ、それを知るために5か月間努力をしてやっとここまでたどり着くことができたこと、そしてそれは世の知識や知恵の本当に本当に一部であること」だ。

いかに「私が知らない」かを、知らないことを穴埋めする作業によってはじめて理解できた。塗り絵を初めて、ごく一部を塗るのに多大な努力を要し、広大な白い下地がこの先広がっていることに気づいたというところか。

基本情報技術者試験に受かって考えたこと (3)

さらに言えば、これは「試験」というものに特化した、もっとも共有しやすいフォーマットに落とし込まれた形式知の極致だ。個人が持つ思いや暗黙的な知恵について言えば、理解の難しさはこれの比ではない。それがまだ77億人分まるっと残っていると思うと、これはどえらいことだと途方に暮れる。もちろんそれができると思うこと自体がおこがましいわけだが。

浮動小数点について聞くように人の話を聞く

一つ具体的に手法を考えた。人の話を聞くときに、浮動小数点について説明を聞くように聞くのだ。全く意味不明、理解できないと思うことだったとしても、それをまっさらな状態で聞いてみる。逆に早とちりして「とりあえずこうすればいいんでしょ」とせず、その裏に深淵な仕組みがある前提で話を聞いてみる。

「離婚するかどうか悩んでいるんです」という人がいたときに、浮動小数点について聞くように聞く。「ああ、よくある離婚問題ね」ではなく、それがどのような背景で生じ、誰がどう問題を解決したいと考えており、そこに個別具体的な事象がどのように生じていたのか、それを語っているのは誰で、誰の発言はそこに含まれていないのか…虚心坦懐に聞くことができるだろう。

世界は浮動小数点に満ちているのだ。だからこそ人の話を聞くことは楽しい。

基本情報技術者試験に受かって考えたこと (5)

おまけ 勉強も楽しい

最後に。勉強を集団でやったが、これがめっぽう楽しかった。まず勉強は仕事と違って、やった分だけ結果がついてくる。少なくとも勉強した結果マイナスになったりしない。これはやっていて楽しい。筋トレにはまる経営者が多いのと全く同じ理由だ。

さらに、役割分担がないのもいい。全員同じ問題を受けるのだから、責任範囲とか量とか関係ない。全部個人で負担して、個人で納得するまでやればいい。やらないという選択肢もある。

で、そうしたことを日々共有できることが本当に楽しかった。今日も集中できなかった、逆ポーランド式とか意味不明すぎる、そういうことをお互い言い合うことの価値が大きい。むしろそういうネタを探すために勉強していた節すらある。

「重要だが緊急でない」ことをするには勉強会に限ると思った次第。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/