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酒に酔った話

スーパーで買ったロング缶のストロング系チューハイを傾けていると、ついつい「すべては空しい!」なんてことを叫んでしまいたくなるのは酒の魔力である。酔っ払いの話なんぞ大抵は適当で支離滅裂だ。

酒に酔ってしまうと何にもできない。生産的なことも、非生産的な事も。だが、酔っている間はとてつもなく幸せだ。酒の魔力は人をダメにする。しかし、ダメになれるのはある意味人生の救いでもあるのだろう。どんな人生の勝者でも、人生のどん底にある人でも、等しく酒に酔ってダメになる。酔ってしまう事が目的ならば、天上の美酒だろうが、お手頃価格のストロングなチューハイだろうが同じことだ

『酒は百薬の長』なんて話はちょっと前に否定されたが、それでも人は酒を飲む。度し難い阿呆である人類にとって、百害があろうとも一利があればそれには価値があるのだから。

酒は如何に飲むべきかと問われれば、徹頭徹尾自分のために飲むべきだろう。飲むことによって他人に度胸を示したり、驕る事が目的ならば飲む必要は無い。自分が楽しいから、美味しいから、嬉しいから飲むべきだ。飲まされる酒は不味い。飲めることがステータスだと勘違いした輩と飲む酒ほど不味いものは無い。他人に強要するのは以ての外だ。悪意と悪乗りの前では、どんな美酒でもドブ水と等価だ。

気心知れた仲間と飲む酒ほど美味いモノは無い。思い出話に花を咲かせながら、日ごろの出来事を面白おかしく話しながら、気を遣わずに飲み、友情に宵を過ごすのは何事にも代えがたい。だが、酔って他人に迷惑をかけるのは良くない。それは自分の為にもならないし、なによりせっかくの酒が苦い思い出になる。

一人酒は良い。自分にしか迷惑が掛からないから。摘みも酒も、全部自分の思うようにできる。面倒なら何もなくていいし、気分が乗ればちょっとした小皿に幾ばくかの摘みを盛り付けても良い。映画を見ながらでも、本を読みながらでも良い。なんなら途中で全部投げ出して、微睡に身を任せても良いのだ。

独酌また独酌。かつて中国の詩人はこの書き出しで詩を書いた。 この世の全てが偽りだなんて青臭いことを叫ぶつもりは無いが、酒中に徳があるのは確かなのかもしれない。

おかずが一品増えます