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一介の剣客が教えてくれた、微粒子単位の役割

先日、『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』を読み返していたとき
ふと目に止まった主人公の言葉があった

「剣一本でも この瞳(め)に止まる人々なら 何とか守れるでござるよ」
(和月伸宏作 『るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー』単行本第1巻 第2幕より)
国のために再び力を貸してほしいと懇願する山県有朋(主人公・緋村剣心と共に幕末の維新志士として凡走した官僚の一人)に対して、返した言葉だ

約束された未来ではなく
目の前に映る大切な人たちのために力を使いたい

幕末の維新志士として
人斬り抜刀斎として暗躍した彼の言葉には
僕の心に刺さる何かがあった
伝説と謳われる実力があるからこそ、言える言葉とも感じた

今の僕は何かを守れるほどの力はない
誰々のため、とは言えるレベルではない
そんな初歩的な段階だ

ここ数年
“まちづくり”“地方創生”を軸に
仕事や活動をしている人たちと
接したり、一緒に活動したりすることが増えている


街のため
地域のため
違う何かのため
覚悟をもって
日々奔走している

家族との時間や状況
地域との関係性や役割
仕事の内容や勤務時間・場所

今挙げた条件や背景が異なれば
そして
月日が経ってくれば
できることの大小
関わり方も変わってくる

どれかに偏ってしまうと
どこかに亀裂が生じてしまう可能性もある

僕は
「街や地域、組織のため」という言葉が
自分に置き換えるとピンとこない
ずっと誰か、もしくは、その誰かを取り巻く人たちを
相手にしてきたからだろう

無数に散りばめられた選択肢
その人にとって
どの選択が適合しているのか
判断したり
選択肢を掲示することは
時間やエネルギーを要する

人の心の中は
物理的には狭いように見えるが
一度入り込んでしまうと、宇宙のように広い

入り込めば入り込むほど
比例して苦しさは増してくる
けれど
その分、誰かにとっての最良解に
近づいている

僕は
誰かの話を聞いたり
背中を押したりすることも
一つの“まちづくり”
だと思っている

世の中からしたら
やっていることが
小さすぎて
目に止まらず
スポットが当たらないかもしれない
相手にされないかもしれない

街や地域単位の角度で見ること
大きなことを成すことだけが
全てではない

それぞれ暮らしや日常の中で
できる役割がある
街は暮らしによって育まれた営みの集合体なのだから

今までの僕の役割は
誰かの話を聞くことだった

剣心は剣客だからこそ
目の前の人を大切にしたい想いがあるからこそ
文頭の言葉を放った

“守る”だけじゃない
色々なやり方や切り口もある
僕が東京時代通っていた青山のスナックでは
お客様に「ここはオアシスだ」って心の底から言われていた
目の前の人を“楽しませる”
これも一つの考えだ

僕は今後について
具体的なビジョンはまだない
編集者だからこそ
今まで一個人の内面や背景を相手にしてきたからこそ
できることは、きっとある
答えはまだ見つかっていないが
目の前に映る人たちが対象となってくるのだろう

そんな僕だが
一つ決心したことがある
1年数ヶ月
鹿児島を離れることにした

自分自身や
大事にしたいものができたときに
守れる力をつけるために

僕の思いや考えは綺麗事だ
甘いと言われても仕方がない

でも
力をつけることで
今より広い意味や範囲において
“まちづくり”というものに
貢献できるのではないか

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