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自己紹介〜多様性の小学校〜

・1980年代中頃
23区内の治安の悪い地域(o地域)の中のごく狭い治安の良い地域(sエリア)で生まれる。

・小学校
地元の公立小へ。最高に楽しかった。土地柄いい意味で貧富の差が激しい小学校だった思う。
ベンツを何台も持っている友達、毎年2回海外旅行に行く友達、6畳一間でくらすシングルマザー/ファザー家庭、中国から一時帰国で通ってすぐ中国に帰ってしまう友達、フィリピンパブのお母さんなどなど。
特にいじめ、差別などもなかった。子供心にこれが社会の縮図だなぁ。色んな人がいてこの世界は成り立ってるんだなぁと感じでた。
なので、偏見や見下しはなく、「友達は友達」って感じ。

この時代の23区の平均私立中学受験率は15%くらいのイメージだったけど、私の小学校は70%以上。
よく聞く「私立受験組vs.公立組」とかもなくみんな仲良かった。

私立受験組がやたら多いのは二つの理由があると思う。
① O地域は治安が悪く公立中学校は荒れていた。パトカーが来るようなことも何度か。

② 私の住むO地域のSエリアは、所得が高い人が多い。そして、公立中学校はなく中学校はO地域になる。1丁目〜4丁目しかない小さなエリア。
ジャングルに唯一ある猛獣がいない小さなエリアって感じ。

よって、中学校に行くと非行に走る可能性がある&私立に行かせるお金はある。 
🟰 私立中学受験率が高くなる!

という感じ。

先述したが、よくこの状況でうまくいっていたなぁと思う。学校の勉強は100点取って当たり前の受験組が授業をボイコットしたり、先生をバカにすることもなく。
ヤンチャ者が多い公立組が受験組をいじめることもなく。
互いに認め合ってた。
公立組:「きょう日能研休みだっけ?遊ぼうよ!」
みたいな。
一緒に遊んでて
受験組:「あっもう打席回ってくるけど塾の時間だ!ごめん!代打よろしく!」

みたいな。
今風に言うと多様性を認めてたかなぁ。

よって今でも大親友って感じ。

で、私は受験をして偏差値60くらいのそこそこの私立に行きました。
よく、「中学受験大変だったでしょう?」と言われるけど、そんな事もなく。
8時ー15時 小学校
15時ー17時30分  友達と遊ぶ
18時ー21時30分 日能研
で、日能研が「もう一つの学校」って感じ。友達もたくさんいたし。
高校生がバイトにハマる感じですね。

と自己紹介が長くなってしまったので。
今後、
「なぜ子どもを公立小学校に行かせたいと思ったのか?」
「様々な家庭環境がある【地元】で今みんなどんな生活を送ってるのか?」

などを書いていきたい思います!

また次回!


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