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【読書日記】2/21 霊感娘は猫と話す。「天狗風/宮部みゆき」

天狗風  霊験お初捕物控<二>
 宮部 みゆき (著) 新人物往来社

我が家の猫の日特集第二弾。

人には見えぬものを見て人には聞こえぬものを聞く力を持つ17歳の娘、お初。
 
深川で嫁入りを目前に小町娘が姿を消した。その父親が取り調べを受けた後、自害してしまう。
 不可解な状況に疑問を持ち、お初は前作で知り合った町奉行与力の息子、右京之介とともに調べ始め、同じく失踪した娘たちが複数いることを知る。妖しの仕業「神隠し」か人の仕業「かどわかし」か。
 彼女たちが姿を消したときには、気味の悪い風が吹いていたという。
 その風は、お初たちに襲い掛かり、ねっとりとした女の声でささやく。
『美しいこと。ほら、その髪、その肌』

妬み嫉み僻み恨み・・・どろどろと重たい人の業、その業が凝って魔となりはてた「天狗」。
この世に当たり前の普通の顔をして暮らしている「鬼神よりももののけよりも恐ろしい人間」。
人と人でないもの両者の狭間にいるお初。
そのお初を手助けする猫たち。

この猫たちの存在が救いとなって、胸やけ・胃もたれしそうな重たい物語を絶妙に軽く仕上げているように思います。
「天狗」を敵とみなし立ち向かうことを使命とする猫たち。その重大な使命とはうらはらにとても可愛らしい。

 やんちゃで愛嬌のある少年とら猫・鉄は、軽妙な口達者。三毛猫のすずちゃんは、まだ幼くて鉄の妹分。そして、かれらを導く灰色の老描・和尚。
 和尚と御前様(「耳袋」の根岸肥前守)が対面する場面は、味わい深いものでした。

本作の重要なテーマのひとつである、外見至上主義「ルッキズム」。
人がまったく己の、また他者の外見に囚われずに生きるのは難しいことです。
古今東西、人は「美」とは何かを問い続け、「美」に憧れ続け、「美」を求め続け、それが原動力となって芸術・文化を生み出してきました。そんな中で人の容姿に関してのみ美醜を問うな、というのは無理がある。
何事も大事なのは匙加減。
人の容姿は、性別と同じく、その人を形作る要素の一つ。優れていることは喜ばしいことだし、美しくあろうと心がけるも良いことだけれども、そこだけを過大に評価することは歪みを生む。
容姿に限らず人をある一面のみで計るのは愚かなこと。
偏差値至上主義(偏差値の高い学校の出身者にあらずんば人にあらず)、運動能力至上主義(試合で勝てなければ意味がない)など容姿に限らず、評価軸の偏りには弊害しかない。
自己評価も他者の評価も、自分自身の価値観や評価軸にとらわれすぎず、物事を多面的に柔軟に見ることができるように心がけなければとより一層思うのです。

その点「そこにいてくれるだけで良い」というのが許される愛猫ってすごいですね。