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【読書日記R6】1/5 穏やかな日々の暮らしを愛す「とんがりモミの木の郷/ジュエット」

とんがりモミの木の郷 他5篇
セアラ・オーン・ジュエット 作 河島弘美 訳 岩波文庫

令和6年が始まりました。
年を重ねるほど、新しい年を迎えることが出来る嬉しさありがたみを感じるようになりました。
そんな気持ちにこの小説はふさわしい。
昨年読んだ本ですが、感想が上手く書けずに保留していましたが、新年最初の読書日記は、これにしたいと思いました。

19世紀後半のアメリカの女性作家ジュエットが綴るニューイングランド・メイン州の町の自然と人々の日常の暮らしの物語。本書には6編の短編がおさめられています。
今の私にとって「海外文学十選」にいれるほどお気に入りの一冊なのですが、面白いの?と聞かれると答えに詰まります。

奇妙奇天烈な個性的な人も悪逆非道な人も妖艶な美女も出てきません。
愛欲のもつれも財産を巡る争いも起きません。

どこにでもいそうな人たちの、きらきらもしていないごく当たりまえの日々を端正な文章で詩情豊かに表現した、どちらかというと随筆のような味わいの作品です。
幸田文や梨木香歩の随筆の読後感に近いように思っています。

とんがりモミの木の郷

著者を投影していると思われる文筆家の女性「わたし」が一夏を過ごすメイン州の海辺の町、ダネット・ランディング。

「わたし」が下宿している家の女主人、ミセス・トッドは薬草(ハーブ)の愛好家で、まちの人々にハーブティなどの薬草を使った処方を行っています。
私は、以下のすーっと緑の風が吹き抜けるような文章でこの物語のとりこになりました。

海風はその家の窓辺に、野バラの香りだけでなく、セイヨウヤマハッカ、セージ、ルリチシャ、ミント、ヨモギ、キダチヨモギなどの香りを運んできた。とくにミセス・トッドが薬草園の一番隅の区画に行くようなときには、タイムをぎゅっと踏みつけて、その香りで居場所を広く知らせることになった。

ハーブの香りの空気がたなびく

「わたし」は、ミセス・トッドの家に下宿し、日中は、夏期休暇中で空いている学校の校舎を借りて執筆するようになります。
この設定も心揺さぶられませんか?
先生も生徒もいない静かな校舎を独り占めして心ゆくまで執筆に専念するなんて。

脱線しました。
物語は「わたし」がダネット・ランディングで出会う人々や体験した出来事を綴り、夏が過ぎてこの町を去るまでを描きます。

老船長が航海時に出会った不思議な出来事
ミセス・トッドの母親の住む小島への訪問
悲運に合い若くして隠遁してしまった女性の面影
地域の有力氏族ボーデン一族のガーデンパーティ
老漁師が亡くした愛妻の思い出・・・

潮騒と薬草の香り、さわやかな夏の風を感じる物語です。

シラサギ

私は、この短編も好きです。
田舎の祖母の農場で過ごす9歳の少女、シルヴィア。
夕方、てんでに出歩く気ままな雌牛を探して連れ帰る役目をのんびりと果たしているとき、町から来た若者に出会います。
若者は、鳥を好きで捕まえて剥製を作っているといいます。この辺りでは珍しいシラサギを追っているのだと。

森の生き物と親しいシルヴィアは、若者が鳥が好きだと言いながら銃で撃つことに違和感を感じながらも、愛想がよく親切な若者にほんのりとした恋情を抱き始めます。

そして、シルヴィアは、近くの丘にあるマツの大木のことを思いつきます。
この木のてっぺんに上って眺めてみたらシラサギの巣を見つけることができるのではないか、それを教えてあげたらどんなにか喜ぶだろう、と。

そして、誰にも告げず夜暗いうちに農場を抜け出して巨木を上っていくシルヴィア。
少女が木の上で世界を眺め、シラサギに出会う場面の美しいこと。
ちょっと長いのですが、ジュエット作品の魅力を共有したくて引用します

とげとげした大木の最後の一本を制して、震えながら、疲れ、しかし意気揚々と木の天辺に立った時のシルヴィアの顔を、もし地上から見る人がいたなら、青白い星のようだったであろう。ああ、確かに海が見えるー夜明けの太陽が海面を金色に輝かせ、まばゆいばかりの東のほうへと二羽のタカが翼をゆっくり動かしながら飛んで行くのが見えた。これまでタカといえば、青空を背にした黒い姿をはるか上方に仰ぐものと決まっていたのに、いまこの高みから眺めるとなんと下を飛んでいることか。タカたちの灰色の羽は蛾のように柔らかく、マツの木のすぐそばにいるように見え、シルヴィアは自分も雲の間を飛んで行けそうな気がした。西のほうには森林と農場がずっと遠くまで続き、ところどころに教会の尖塔や白っぽい村の集落が見えるー世界はなんと広く素晴らしいことか!
 鳥たちの声は次第に大きくなった。ついに太陽が、驚くほどまぶしい光とともに昇ってきた。シルヴィアの目に、海に浮かぶ何艘もの白い帆が見えた。最初のうち紫色、薔薇色、黄色に染まった蜘蛛の色が次第に薄れて行く。広がる緑の海のどこに、シラサギの巣はあるのだろうか。この素晴らしい景色とそれを舞台にした壮麗な色彩のショーー目がくらむほどの高さまで登ってきたことへの報酬はそれだけなのだろうか。さあ、シルヴィア、もう一度下をー輝くカバの木と黒いツガの木に囲まれた緑の沼地を見てごらん。前にシラサギを見たあの場所に、再びその姿があるだろうから。ほら、見て!白い小さな点のような姿が、一枚の羽根のようにツガの枯れ木から浮かび上がり、だんだんと大きくなりながら、上へと近づいてくる。そしてついには、翼でしっかりと風を切り、羽冠のついた頭、ほっそりした首を伸ばして、このマツの木のそばを通っていく。待って、動かないで!足一本、いや、指一本も動かしてはいけないよ、シルヴィア、視線という矢を両目から放つのもまずい。シラサギはそこから遠くないマツの枝に止まって、巣にいる連れ合いの声に応え、新しい一日のために羽づくろいをしているのだから!

少女と一緒に巨木の上から世界を眺めている気持ちになります

さて、シルヴィアは、いとしい若者にシラサギの巣の場所を告げるのか・・・
結論は本を読んでお確かめください

その他おさめられているのは以下の通り。
二人の女性が古い友人の家で通夜を行う「ミス・テンピーの通夜」
救貧院で冬を過ごす老女三人組。その中の一人がある日姿を消した顛末を綴る「ベッツィーの失踪」
山の中で一人暮らしの年老いた伯母を訪ねて過ごすお元日「シンシーおばさん」
若い不器用なメイドが成長するきっかけとなった美しいあるひと「マーサの大事なひと」

ジュエットという作家さん、私は初めて知りました。

燃えさかる大火炎ではなくろうそくのゆらめく灯火
猛吹雪ではなくはらりと舞い散る風花
緋色の牡丹ではなく馥郁と香る一輪の紅梅

そんな穏やかで心を和らげるような作品が、今の私の気持ちに重なります。

今年はお元日に震災がありました。

私たちが日々を過ごす中で、親しい人だけでなく煙たい人もいます。
それでも、その人たちと明日をともに迎えることがどんなにかありがたいことなのかを考えざるを得ません。

私たちのなにげない日々は美しい。
その日々を愛しむように大切に過ごしたい、そうしてこの一年を過ごし、年を重ねていきたい、そう思うのです。

昨年はたくさんのご縁をいただきました。
今年もよろしくお願いいたします。

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