見出し画像

【読書日記】8/17 武家の娘が語ること。「ヘルンとセツ」

ヘルンとセツ
田渕 久美子(著) NHK出版

先日、noteで「コワイ話」談義があったせいか、小泉八雲とセツ夫人の物語に手が伸びました。
松江で「ヘルン先生」と呼ばれたラフカディオ・ハーンと、松江藩の上士の家に生まれた小泉セツ。
二人が遠く地理的にも文化的にも離れた場所で生まれ育ち、松江で出会い、互いにかけがえのない伴侶となるまでを描きます。
セツがヘルン先生に「怪談」を語りきかせる場面は「怖い話」を語っているのに不思議と安らかな気配が漂っています。

この物語の読後感は、上等の水羊羹とお抹茶をいただいた感じでしょうか。
ひんやり、やわやわするりと喉を通り、甘みとお抹茶の苦みがほどよく残るというか。

初めから終わりまですーっと一気に読むことのできる分かりやすい筋立てと場面を思い描きやすい描写、くっきりと際立つ人物造形、緩急ある場面展開は、著者が脚本家である故かもしれません。

本書の中で印象に残るのは、セツの実家をはじめ、版籍奉還後、お家を離れた士族の男たちの不甲斐なさとそんな中で家族を支える女たちの強さたくましさです。
特に、セツの養母トミが良いです。

愚痴は底なし―
「文句は言うただけ、たまるもんだわね」
そう言っては笑い、働き続けた。

「ヘルンとセツ」よりトミのことば。愚痴ならいくらでも出てくる自分を反省。

令和の今の世において、「家にいて何もせず、そのくせうだうだとうるさい」舅や夫に黙って仕えるのが美徳とは思いませんが、何かと思うに任せない境遇にある時にあれこれ愚痴や文句を言っていても仕方ない、できることを気持ちよくやって前に進む、という姿勢は見習いたいものです。

そして、ラフカディオ・ハーンがセツと出会ったことで、「怪談」が生れた。
生まれた、というよりも、「文明開化」に駆り立てられ西洋文明を我先に取り入れて日本人が捨て去ろうとしていたモノたちを小泉八雲が拾い大切に守ったのです。
奇跡のような天の配剤、出雲の縁結びの神々の恩寵なのかもしれません。

柳田国男が佐々木喜善に出会って「遠野物語」が、金田一京助が知里幸恵と出会って「アイヌ神謡集」が残ったように、ひとつの縁が消えゆく宝を守った。
でも、時代の激流の中であえなく消えていったたくさんの言葉、物語があったのだろうな、と。
なんとももったいないことだなあ、と失われた物語に思いを馳せてしまいます。

お盆の時期に「怪談」。改めて読んでみるとしみじみ怖いですね。