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完璧主義のその先へ 【ユタカジン】

完璧主義。あなたは当てはまりますか?

僕にとってこの言葉は、過去の自分自身を一言で表すのにぴったりな言葉です。

これまで、完璧主義はいいものだと信じてきました。だって、現状に満足することなく、色んなことに関してできるだけ高い質を求めるから。

たとえば、仕事上のなんらかのタスクを完璧に終わらせられたら、関係者がいい気分になってポジティブな言葉をかけてくれるかもしれません。

あるいは、研究テーマを完璧に成し遂げて論文化できたら、いい成績や評判がついてその先の明るい未来につながる可能性もあります。

完璧主義であること、現状に甘んじずより良いものを求め続けること。
これによって得られたものは大きく、完璧主義自体や過去の自分を否定する気持ちは全くありません。

しかし、完璧主義には深い負の側面もあります。
過去の僕は、まさにその完璧主義によってとてもしんどい思いをしていました。

そもそも、「完璧」というのは概念でしかありません。
言葉で言い表せはするものの、何を持って完璧と言えるのかというのは非常に曖昧なものです。
完璧という姿が一種の「終わり」を手に入れることだとしたら、その終わりは一生やってこないでしょう。

そんな、幻想とも言うべき「完璧」を追い求めるのはとても大変です。

完璧を追い求める対象が限られていて、かつ時間も無限にあるのであれば、もしかしたら完璧に限りなく近づくことはできるのかもしれません。
しかし、それはあくまで仮定の話。現実は、いろいろとやることを抱えていて、1日は24時間から延びることはありません。

「完璧」は遠い彼方にある。しかし1日という時間は限られている。
そんな無茶な状況の中で、どうにか足掻いて繰り出す方法は、やっぱり無茶なものになってしまいます。たとえば睡眠時間を削って無理やり時間を作り出そうとします。

しかし、睡眠時間を削って得られるものはそこまで質の良いものになり得ません。やはり完璧とは程遠い状態から抜け出せません。

また、完璧というのは到達が難しいからこそ完璧なわけです。その達成の難しさに足がすくんで、なかなか行動に移せなかったりします。完璧を求めるのであれば一刻も早く動き出したほうがいいはずなのに。

完璧を求めるベクトルが自分に向かうとまた厄介です。完璧な人間というのはまずあり得ないはずなのに、ちょっとミスをしたりするだけで極端に自分を責めてしまいます。

他人に対しても厳しくなることも多々あります。余裕がない中で他人からのなんらかの割り込みが入ると、完璧になりたい自分の邪魔が入ったと思ってしまいます。また、他人に対しても完璧であろうと努力してほしいと要求が大きくなります。


完璧主義の負の側面をいろいろ挙げましたが、全部過去の僕の姿です。
あなたが完璧主義の自覚があるとしたら、大なり小なり共感してもらえるかもしれません。

過去の僕の姿と言いましたが、完全に決別できたわけはありません。まだまだその尾を引いているなと思うこともあります。

でも、最近は完璧主義よりもずっといいやり方を知りました。
完璧主義よりも気楽に生きられて、かつ完璧主義よりも良いものに到達できるスタイル。このスタイルを身につけることで、だいぶ生きるのが楽になりました。

そのスタイルとは、着手主義とも呼ぶべきものです。

完璧主義から着手主義へ

完璧主義が「終わらせること」に重きを置いていることはお分かりでしょう。
それに対して着手主義は、その名の通り「着手すること」つまり「始めること」に重きを置きます。

先ほど着手主義のことを

  • 完璧主義よりも気楽に生きられる

  • 完璧主義よりも良いものに到達できる

というふうに紹介しました。

まず、なぜ気楽に生きられるようになるのか。

どんな対象であれ、その完璧な姿を想像すると、そこまでの道のりの長さや完成度の高さに足がすくんでしまったりします。そんなところに到達できるとは到底思えてきません。完璧を求めているのに完璧から距離を置く状態。そんな矛盾に陥ってしまいます。

そこでまずは着手することにフォーカスしてみます。完成させること、完成した時の質はひとまず二の次。とりあえず一歩踏み出してみます。
きっといろんなことに気づきに出会うはずです。

  • 手が届かないと思っていた「完璧」な姿は意外とすぐそこかもしれない

  • 次の一手として何をすべきかはわかる

  • ぼんやりと「遠い」と思っていた距離が少し明確になる

きっと視界が開けた感覚が得られるはずです。これをすれば良いのかとわかることで、気持ちが楽になります。

気持ちが楽になるのと併せて、完璧主義よりもより良いものに到達できることも多いです。

完璧主義だと、足がすくんでなかなか動けない。締め切り直前になってようやく手をつけてなんとか完成させる。そうして完成させるものはとても完璧と呼べるものではありません。

一方、着手主義だとどうでしょうか。ひとまず手をつけると、先に述べたようにいろんなことが見えてきます。始めるまで思いつきもしなかったアイディアも生まれてきます。当初描いていた「完璧」な姿とは全然違う、しかしその姿よりもより良いものが出来上がっていることも多々あります。

生きやすくなる上に、より良い成果が手に入る。
完璧主義から解放されて着手主義に移行できて正解だったと本当に思います。

そして、もしあなたが完璧主義で自分自身を苦しめてしまっていると自覚するなら、ぜひ着手主義という言葉を頭の片隅にでも置いておいてくれると嬉しいです。

「終わらせる」より「はじめる」にフォーカスする ユタカな時間術

着手主義の良さはわかった。でもどうやって切り替えれば良いの?
そんな疑問が頭に浮かぶかもしれません。

僕はこれまでユタカジンに寄稿する中で、順算思考という言葉を軸にそのためのヒントや取り組み方を言葉にしてきました。ぜひ一度読んでもらえると嬉しいです。

しかし、どうしても文章だけでは伝わらない、伝えられない熱量や経験、感情、考え方があります。
「なんとなく言いたいことはわかるけどやっぱり腑に落ちない」という感覚を覚えさせてしまっているかもしれません。

そこで、今度は文章ではなく、自分の口でリアルタイムの場で伝えてみることにしました。

いよいよ今週末(2024年7月6日)に迫った「ユタカジンLIVE」に登壇し、「「超逆算人間」だった自分が順算思考を手にして得た豊かさ」というタイトルで15分ほど話します。

自分の経験をもとに、どのように着手主義へと切り替えていけたのか、思う存分お話ししようと思います。
アーカイブ動画の共有はありません。その場限りのライブ空間なので、ある意味生々しい話もどんどん伝えていくつもりです。

もしイベントの雰囲気がわからなくて参加を迷っているとしたら、前日の7月5日からYoutubeライブで前夜祭が開催されます。無料なので気軽に遊びにきてください。

前夜祭で取り上げてほしい質問も募集中です。どしどしお寄せくださいね。

それでは、当日LIVE会場であなたにお会いできることを心から楽しみにしています!

もしもしかめよ かめりんでした。


本記事はタスクシュート協会メンバーが運営する「ユタカジン」への寄稿記事です。
ユタカジンとは「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマとして、時間や習慣、タスクシュートなどなどにまつわるお話が連載されていくマガジンです。
自分なりの豊かな時間の使い方に関するヒントがたくさん詰まっています。
今後もたくさん更新されていくので「ユタカジン」をフォローして日々の楽しみにしてくれると嬉しいです。

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