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観光学科に通う学生諸君、ヒッチハイクをしろ。

19歳のヒッチハイク

大学観光学部は第二志望であったが、新入生歓迎会を起点に新しい大学生生活を満喫していた。

前期授業が終わり夏休みに入ると、ワイワイ楽しくやってはいるが、そもそも勉強している観光とはなんだろう、とようやく興味を持ち始めた。

リッツ・カールトン、星野リゾートの凄さを机上で勉強してきたものの、どうもしっくりこず、日本の南の方、訪れたことのない九州に行ってみようと考えた。

JRの鈍行を1日乗り放題できる青春18切符を買い、JRで働く高校の友人に分厚い時刻表をもらい、準備を進めた。

実家がある大阪の最寄駅を始発で出ると、終電24時前に熊本駅に着けることがわかった。

住み慣れた街から、大阪中心地の人の混雑を抜け、神戸で少し華やかになり、夕方の広島では帰宅途中の学生達の広島弁を聞き、夜の福岡の賑やかさを感じつつ、深夜の熊本に着く。

熊本駅に着く電車は新幹線タイプの座席で誰も乗っておらず、疲労感もありながら、もうすぐ着くワクワク感に胸を膨らませていた。

一人貸し切り状態だった車両に酔っ払ったおじさんが乗車してきて、ガラガラの車内で横に座ってきた。

泥酔している様子で、熊本駅一駅前、千鳥足で降車して行く。

ふと隣を見ると、封筒があり、おじさん〜と呼んだものの、声は届かず、電車のドアが閉まる。

一人残された車内で封筒を開けると、ビール券と宝くじ数枚。

特に名前も書いていなかったので有り難く貰う。

熊本駅に着き、今夜の宿探し。

現金5000円と万が一のためのキャッシュカードのみの6日間貧乏旅行。

夏なのでその辺で寝れると見込み、寝袋を持参。

パラパラと小雨が降ってきて、高架下へ避難する。

ここで寝ようと思った矢先にホームレスの先客を発見し、少しして上がった雨を機に河原に広がる広大な芝生の真ん中に寝袋を敷き寝る。

いざ寝てみると、周りから誰か来るのではという恐怖感、虫に苛まれ、翌朝犬の散歩をしているおじいちゃんが通るまで、寝たり寝なかったりを繰り返した初日の夜。

2日目朝、ヒッチハイクの始まり。

道路に出て、親指を上げる。

段ボールに場所を書くという計画性もなく、次々とタクシーが止まっては申し訳なく断る。

横断歩道越しの赤信号待ちのドライバーにお願いします、と自分の存在を伝えて、その自分の後ろに停車できるスペースを確保すると捕まることに気付けたのは一時間後。

初めて乗せてくれたおじさんに阿蘇山に行きたい、と伝え、途中のパーキングエリアまで送ってもらう。

何かあれば、と電話番号を書いた紙を渡してくれるほど優しい幸先の良い素敵なドライバーだった。

その後はコツを掴み、順調にヒッチハイクを進め、無事阿蘇山麓に到着。

徒歩で2時間くらいかけて山頂に登り、日も落ちてきたのでバスで下山。

夜のヒッチハイクになかなか苦戦するも、近くの道の駅まで乗せてもらう。

道の駅にある、100円で入れる温泉にゆっくり浸かり、今日の寝床であるベンチを確保。

よく見ると星空が綺麗で、この景色を見て、眠りたいと、道の駅の建物の屋根の上に昇り、寝袋を敷いて寝転がる。

満天の星空に感動するも、大量の蚊にやられ、斜めになった屋根の上で寝袋にくるまって寝ることは危険で、ベンチに戻る。

順調に旅を3日、4日と続け、宮崎に入る頃、残金わずかになる。

万が一のキャッシュカードはまさかの残高ゼロ、間違ったカードを持ってきていた。

通りがかった八百屋のおっちゃんにもらったみずみずしい梨、ヒッチハイク中のママさんお子さんにもらったポテトチップス、コンビニのトイレで飲んだ水道水。

お腹ペコペコ状態、どの味も忘れられない。

全ては一つの希望を元に頑張ることができた。

ビール券。

4日目夕方からキャッシュカードミスに気付いて、すぐに金券ショップを探した。

宮崎駅前に見つけたそのショップに翌朝開店一番で訪れる、それだけを希望に数百円のコーヒーで深夜のガストに入り浸った。

5日目朝、順調にヒッチハイクを重ね、宮崎駅に到着。

臨時休業。

ほとんど何も食べていない状態で膝から崩れ落ちそうだったが、他の金券ショップはあるか、宮崎駅観光案内所のアロハシャツを着ている職員さんに尋ねる。

ここからバスで30分ほどのイオンの中にあります。

イオンへの道は朝一、全然車も通っておらず、バスの片道は230円。

深夜のガストコーヒーを最後に手持ちは100円程度。

ここでビール券と共にあった宝くじ数枚を思い出す。

駆けるように宝くじ売り場に行き、計10枚あった券を自動精算機にかけてもらう。

配当金300円の文字が赤色で出たときは、心の中で雄叫びをあげていた。

バスでイオンに行き、ビール券は5000円になり、フードコートで山盛りのカツカレーを頬張った。

昼に宮崎の高千穂をゆったり観光し、5日目朝まで金策に明け暮れていたが、気付けば明日6日目最終日の朝、また青春18切符を使って大阪へと帰る。

多少お金もあるし、最後に大分の温泉にでも行こうかと考えていたところ、ヒッチハイクで乗せてもらった人のカーナビで速報ニュース、大分の温泉街で殺人事件が起こったと見る。

さすがに縁起が悪いので、大分行きは取りやめ、明日朝の出発駅、熊本駅を目指してヒッチハイクを乗り継ぐ。

最終日を飾るには何がいいか、ヒッチハイクで最初に乗せてもらった人の電話番号を書いた紙を見るが、こちらから電話かける勇気も出ず、阿蘇山近く、ヒッチハイクを続ける。

数分後、止まってくれた方に、熊本駅周辺にお願いします、と伝えようとすると、なんとドライバーはあの最初に乗せてもらったおじさんだった。

阿蘇山近くで働くおじさんの帰宅途中の軽トラックにまた乗せてもらった。

今日はどうするの

最終日ノープランを伝えると、うちに泊まってええぞ、と、おじさんは最初から最後まで優しかった。

帰宅途中におじさんがよく行く肉屋さんに寄り、馬刺しを買ってもらい、立派な一軒家に到着した。

奥さんに挨拶をし、急だから何も用意してないのよ、と言いながらも食卓にはあったかい料理が並べられていく。

馬刺しを中心とした料理が揃うと、上からすっぴんの娘さんが降りてきた。

はじめまして、今日一日お世話になります

19歳同じ歳の看護学校に通う娘さんは少しシャイだった。

旅の話を中心に3人で食卓を囲み、食後にはデジカメで撮った旅写真をおじさんのパソコンを囲ってみんなで見た。

阿蘇山麓で入った温泉以来、3日ぶりのお風呂にゆったりと浸からせてもらい、おじさん奥さんは先に寝て、リビングで同い年の娘さんと日付が変わる頃まで語り明かした。

野宿、野宿、野宿、ガストで疲れきった身体をバスケの合宿に行っていた弟の空き部屋のあったかいベッドが優しく包んでくれた。

翌朝奥さんが手作り弁当を持たせてくれ、おじさん奥さんに玄関まで見送ってもらい、化粧までしっかりとしてくれた娘さんの軽自動車で駅まで送ってもらう。

数年間パソコンのメール、年賀状でやり取りしていたが、今では連絡先もわからず疎遠になってしまった。

あれから10年、娘さんのフルネームを覚えていることを手がかりに、熊本に探しお礼をしに行く旅を企画してみよう、と思った。

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