私には報われる権利があるはずだろ「ガチ恋粘着獣/星来」に見る自分との付き合い方
仲のいい男性三人で構成される動画配信グループ「コズミック」と、ファンの域を超えて彼らに恋をし、SNSを通じて狂っていく人々の姿を描く漫画、ガチ恋粘着獣。
ガチ恋粘着獣3〜6巻で展開されたコスモ編は、1〜2巻のスバル編へのカウンター的な要素が多い。
コスモくんと琴乃さんの結末もそうだし、襲撃者の正体と顛末もそうだ。
今回の感想文はコスモ編重要人物である、ある女性を中心に書きたいと思う。
※この記事はコミックス3〜6巻のネタバレまみれです。ご注意下さい。
これを読んでいる方がガチ恋粘着獣既読者であることを信じて結末から書くが (一応スペースを開けますので、未読の方は今すぐコミックスを読んできて下さい)
コスモ編冒頭の襲撃者の正体は琴乃さんではなく、琴乃さんよりもずっと古参のコスモ担である、はるみさんという女性だった。
はるみさんがしたことは完全に犯罪だが、私が彼女を嫌うことが出来ないでいる理由は、はるみさんが「上手くいかなかったヒナちゃん」ではないかと、どうしても考えてしまうからである。
ヒナちゃんの結末が「上手くいった」でいいのかも異論があるとは思うが、ヒナちゃんは襲撃の末、コズミックのスバルくんの一番を手に入れた。
対してはるみさんはコズミックが借りているマンションに不法侵入した上、本人を襲撃までしたが、コスモくんに名前を覚えてもらうのがやっとで終わった。
先述した通り、コスモ編は1~2巻で展開されたスバル編へのカウンター的な要素が多い。
スバル編はガチ恋相手であるスバルくんが元々ファンと遊びまくっていた男だったのであの展開になったが、ではガチ恋相手がファンと遊んでいない、真面目な男だったらどうなっていたのか?
コスモ編が描いたのは、そういうストーリーだったのだと私は考えている。
私は本来ならはるみさんも琴乃さんと同様に、コスモくんの為に彼の言う「本当のファン」であろうと努めていた一人だったのではないかと思う。
だからこそSNSでは「フォロワー!」と呼びかけるような明るいキャラクターを出し、新規が知らない過去の個人配信もアップして、布教のようなこともしていたのだと思う(4巻23話)
そこに琴乃さんが感じ取ったように、古参マウントの意図が含まれていたのだとしても。
裏垢ではどうであれ、表向きはマナーを守る「本当のファン」の姿をしていたはるみさんをその檻から解き放ってしまったのは、スバル編のりこめろたんとヒナちゃんの行動、そしてギンガくんが行った配信である。
コミックス2巻の8話で「殺してやる! 私のコスモに触った腕を切り落とさせろ!!」と叫んでいる女性がはるみさんだ。獣の行動がさらなる獣を呼び込んでしまったのだ。
コスモくんは優しくて真面目な男性だが、配信者として「本当のファン」を求めておきながら、その人たちのことをちゃんと見ていないところがあると本編で描かれ続けた。
だからこそ動画の再生回数にも投げ銭にも貢献し続けていたであろう、恐らく最古参のはるみさんの名前もまともに覚えていなかったのだ。
はるみさんはコスモくんが高校生の頃から配信画面越しに見守っていたが、彼はすでに成長して成人男性になっており、悩んだり怯えたりしながらも、ちゃんと自分の身に起きたことと向き合おうとしている。
高校生の頃のままのコスモくんを求め続けている様子があるはるみさんも、冷静な部分では、自分はターゲット層ではなくなったのかもしれない、自分に都合のいい配信をしてくれる人のところに行くべきなのかと、考えてはいたのだ。
はるみさんに、報われる権利はあったと思っている。あくまで、私は。
だが、それはリプに返信するとか、投げ銭してもらったら名前を呼ぶとか、そのくらいのことでもきっと良かったのだ。
早い内に「報い」になるものを得られていれば、はるみさんはもう少し長く「本当のファン」でいられたのかもしれない。少なくとも表向きは。
しかしそれもまた、読者である私の勝手なエゴだ。ファンサが苦手だったコスモくんに強要出来ることでもない。
作中でコスモくんのファンに対する意識は少しずつ変わっていった。けれどそれも琴乃さんとの出会いがあったからだ。コスモくんが隣に立ちたいと思った相手は琴乃さんであって、はるみさんではない。
配信者なんてたくさんいる。選択肢は他にもある。
はるみさんは推し変まではせずとも、コスモくんから少し離れて、違う駆け出しの配信者にでも目を向けていれば良かったのかもしれない。
そうすればはるみさんにも、犯罪者として本名が報道される以外の、違う未来があったのかもしれない。
こんな風に、ああしていれば、こうなっていれば……と絶えず考えてしまうくらいには、私は今もはるみさんのことが憎めずにいるのだ。彼女がコスモくんの腕に傷を負わせたことは、決して正当化出来ないのに。
先の話ではあるが、推しから距離を取ることを実践しているキャラクターもいる。
琴乃さんの友人である奈緒さんだ。彼女はギンガ編で酔って病み配信をしたギンガくんと距離を取るために、別の配信者の動画を漁っている(50話)
意識して違うものを摂取することで、推しに「こうあって欲しい」というわがままを押しつけそうになる自分を制しているのだ。
奈緒さんは推しとの距離の取り方が巧いのと同時に、自分との付き合い方が巧い。
どうすれば自分の精神状態を安定させられるのか、毎日を楽しく心地良く過ごせるか、理解した上で、何をするのかをちゃんと自分で決めている。
スバル編とは違い、コスモ編の勝者は襲撃者であったはるみさんではなく、琴乃さんである。
彼女もまた粘着獣の一人であり、コスモくんが困っているからと配信コメントを自治しようとし、コスモくんと偶然街で遭遇し握手した女子高生のゆっこちゃん並びに友人を特定して追い込み、それでいて自分はファンではない一般人を装うことでコスモくんとの繋がりを得た。
この漫画ははるみさんが完全に悪者で、琴乃さんは根っからの善人だから推しに選ばれたとか、そんな単純な人間の描き方はしていない。
琴乃さんも鋭い牙と、粘着性を持つ恋に狂った獣の一人。
だが琴乃さんは、自分のしたことをコスモくんのせいにしようとはしなかった。彼女はちゃんと、自分の中の獣に気がついたのだ。
自分の嘘でコスモくんを傷つけたと落ち込み、気に入らないコメントを見ても脊髄反射で応戦せずに配信を見守れるようになり、ゆっこちゃんとその友だちに直接会いに行き、自分のしたことを全て説明し、頭を下げている。
対してはるみさんは、最後までコスモくんが全て悪いと言い続けていた。
琴乃さんとはるみさん、二人の獣の明暗を分けたのは、自分のしたことは自分の責任であると自覚出来たかどうかだったのではないか。
スバル編ラストでは、りこめろたんは最終的にコズミックのチャンネル登録を解除し、最強の男を手に入れるべく合コンへ参加するようになった。引き続きバリバリ働いてもいるのだろう。
ヒナちゃんはスバルくんとのカーテン越しの告白を経て、配信者とファンの位置に戻り「サイコーの恋」を継続している。
コスモ編のゆっこちゃんは推しが動画に出す部分、好きなところだけ摂取出来ればいいと、自分のスタンスを確立させた。
琴乃さんは生身のコスモくんと再度向き合った結果、雲母宇宙の彼女になった。
登場人物たちがそれぞれの人生を掴んでいった中で、全てをコスモくんのせいにし続けたはるみさんの長い年月は、琴乃さんの言う「サイテーの恋」にもならなかったのだ。
彼女が一番知らなくてはいけなかったのは、コスモくんではなく、自分自身のことだったのかもしれない。
しかし、琴乃さんや奈緒さん、ゆっこちゃんとは違い、はるみさんの周りには誰かがいる描写がない。
友人や家族、職場の同僚の姿もなく、家でも外でも一人きりだ。リストカット癖のあるはるみさんの、コスモくんと出会うまでの人生や配信を見る以外の生活については推し量るしかない。
彼女にとっては、自分と向き合うことこそが一番苦痛を伴う行為だったのかもしれない。全て推測でしかないが。
スバル編でも書いた通り、ガチ恋粘着獣の登場人物には名前に由来があると思っている。
コスモは雲母宇宙なのでそのまま宇宙として、花織琴乃はアカウント名がベガなので織姫だろう。名前の琴乃はこと座から。
織姫がいるなら彦星はというと、友人である鷲巣奈緒のアカウント名が アルタ = アルタイル なので彼女がそうだ。名字に鷲が入っているのはわし座から。
ゆっこちゃんにも何かあるのかなと考えていたが、彼女の本名は白井ユウなので彼女が デネブ=はくちょう座 なのかもしれない。宇宙の天の川に橋をかけるカササギだ。
カササギは頭部が黒い鳥なので、彼女の頭のリボンを琴乃さんはうさぎさんのような耳と言っていたが(31話)、わたしには鳥のようにも見……見え……いやちょっと厳しいかな……私の考え過ぎかもしれない……。
琴乃・奈緒・ゆっこの三人で夏の大三角形として捉えると、襲撃事件以降も彼女たちが仲良くしているのが趣深い。ずっとキャッキャしててほしい。
では「はるみ」さんは何だろう?
本名が 秤屋瑠美 (はかりや るみ) で「はるみ」なので、単純にてんびん座かと思っていたが、夏の大三角形よりも先に コスモ = 宇宙 を知っていた、夏の前だから「春」という意味もあるのだろうか。
ここまで書いておいて今さらだが、星座にはまるで詳しくありませんので、もっと違う意味が込められていたらすみません。全部私が勝手にこう考えているだけです。
スバル編は竹取物語(かぐや姫)、コスモ編は七夕物語(織姫と彦星)、そしていま連載中のギンガ編は銀河鉄道の夜がモチーフになっていると思われる。
恋とSNSに狂った人々の姿を見るのも楽しいが、物語のモチーフを探すのも楽しい。
続くギンガ編では、星来先生による配信者とそのファン達の描き方が、より細分化されている。
何を撮るか、誰と撮るか、何を見るか、誰と見るか。
何を本当のさいわいとするか。
限りある時間を、自分の人生に何を求めてどう過ごすのか、結局決めるのは自分だ。
その結果、恋とSNSに狂ったとしても、それは自分で選んだこと。
誰のせいにも出来はしない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?