毒とか酷とか

おはようございます。

本日は食べCHINAお休み。

サムネイル372

市販のバジルを切って、水の入ったグラスにつけたら花が咲きました。

水耕栽培というか、花瓶に挿すみたいな感じでやっても生きてるものですねぇ。

私はここまで生きてみました、ってか。

種から育てたバジルはおい茂ったし何枚も食べましたけど、花だけは咲かなかったし蕾さえできなかったなぁ。もう少し粘って育てればよかったのかもしれません。

斜に構えている

久しぶりに従兄弟に合いました。

従兄弟の兄妹。

妹の方は本当はおしゃべりなはずなのに人見知りで全然話せなかったな。ずっとアイコンタクトでニコニコニヤニヤしていました。たまに目が合っては「へへっ」みたいな感じで笑っていたので無関心というわけではなかったようです。

僕も割と人見知りというか、何話していいかわからないので聞き役に回ったりするので、似ているのかもしれません。15歳くらい離れてるけどね…。

周りが楽しそうに話してるのを聞いて笑ったり、でもそれで満足なのです。飲み会に参加してもふんふんと話を聞いてるだけで参加した感じになっていたし、それでいいんですよね。会議とは違うから、それぞれが楽しめる方法でその空間にいれば成立するのです。

飲みニケーションが必須だとかは言うつもりはありませんが、飲み会を楽しめるというスキルは必要かもしれません。それくらい歩み寄る姿勢というか、同僚に興味を持つことで仕事が円滑に進んだりすることもあるでしょう。

僕はかなり斜に構えた人間だという風に自己分析しています。

客観視している、とでも言いましょうか。

そのせいか、素直で正直で、純粋な人が苦手です。博愛主義者みたいな人。

嫌いというわけじゃないんです。

「でも僕みたいに毒づく人を、純粋な人たちは嫌っているだろうし、距離を置きたいと考えているのでは」と、考えてしまうのです。

僕は好きなものは好きでいたいし、気に入らないものに対しては避けたり意見を言ったりしたい。わがままな人間なのです。

友達の愚痴を言う人とは付き合いたくない」と思っている人が多いことに恐怖します。だって、誰しも他人に対して不満を持っているものでしょう?

ある日、中学校の同級生が「○○(女子生徒の名前)って目を整形したよね?」と言ってきたことがあります。ちなみにその同級生は男子でした。

僕は比較的鈍感だったし、そういう違いに気づかないタイプなのですが、どうやら本当に一重から二重にしていたらしいのです。

その発言は愚痴や不満とは種類の違うものだとは思います。

でも、わざわざ言う必要あります?という種類のもので、なんなら控えるべき発言だったと僕は判断しました。

そして、その発言ののち、僕はその同級生を信頼することにしました。正直でいいなぁと思ったし、そういう無頓着さは気持ちが良いです。

相手を気遣わない感じ、ある程度は必要だと思うのです。

僕は友人関係が薄かったからか、「実は誰誰のことが嫌いなんだ」というような愚痴を聞いてきたし、飲み会では悪口まで行かないくらいの発言が飛び交います。

そういったものを、(笑いものにするという意味ではなく)面白いなぁと感じることを良しとしているので、純粋な人たちとは対極にあるのだなぁと深く感じます。

心の底から「良い子」というのも存在するのでしょうけど、うまが合わないのです。

まぁ、そういった人を避けても生きられるのだから、僕から歩み寄ることはないのですが、親戚にいると大変ですね。結局そういう人が褒められて、僕みたいなのは心が汚いとされて否定されるんですから。

自分だけは、自己否定しないように生きていきたいものです。

ではまた明日

書きなぐってしまいました。

自分の気持ちを整理できたし、ある種の自己肯定にもなったから良かったな。

頑張っていきましょう!


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