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異物との向き合い方

昨年、息子の顔にウイルス性のイボができた。
皮膚科での液体窒素での治療は痛みや回数もかかるので、まめに連れていくことが苦手なわたしは美容皮膚科のドアを叩いた。

そこでは、イボクリームなるものを子供には推奨しており、皮膚を溶かしながら治していくというものだった。

イボというのは、免疫力が上がると突然に治ったりするものなので、それのおかげかは確信していないけれど、息子のイボはキレイに治った。

なかなか治らないイボにイライラしながら、毎晩クリームを塗って、テープを貼って…という作業は、わたしにとって地獄だった。
しかし、"親子のふれあい"という意味では貴重な時間だったのかもしれないと今なら思う。
なぜなら、毎回息子はまんざらでもないというような、嬉しそうといえば嬉しそうな様子だったから。(たとえわたしがイライラしてても…)

そんな訳で息子のイボは治ったが、
今度はわたしの手の甲に小さなイボが出現したのだ。
(息子との日々の遺産だわ)なんて思いながら、
なぜか病院に行くのをためらい、
わたしも残っていたイボクリームで自己流の治療を始めた。
しかし、良くならない。
少し焦りを感じたわたしは、息子と同じ美容皮膚科へ相談に行った。
結果、「残っているイボクリームでもう少しやってみましょう」とのこと。

それから、4ヶ月。
毎日こつこつとクリームでの処置を続けた。
というのは嘘で、途中、ネットで調べた民間療法をいくつも試してみた。しかし、そのどれも長続きしない。効果がすぐに出ないと待てないのだ。
そうそう、よく"癌を愛したら治った"みたいな話もあるなぁと思い。「イボさん、ありがとう。」的なアプローチも一回くらいしたかもしれない。いや、した。あぁ、恥ずかしい。

そのうち、これがわたしなんだ。と悟った。
基本的に、信じていない。
一時、信じたとしても続かない。

「信じて、続けて、待つ。」
これが出来る人を本当に尊敬する。
この言葉には、望む結果が出るとは限らないという余裕だって含まれているのだ。

絶対に裏切らない人しか信じない。
絶対に愛してくれるなら、愛す。
わたしのこと好きなら、好きになる。
微妙な人には近づかない。

そんな傾向がある自分を、
イボの治療と向きあう中で今更見せられるなんて。

やがて、常に手にテープを貼ってる自分へ嫌気がさしてきた。自己肯定感が下がってきていたのだ。それを自覚した瞬間、異物を一瞬で取り除く決断を下した。
即、予約を取り、その日の夕方にはレーザー手術を済ませていた。

そして今、何針も縫った手の痛みを噛みしめる数日を送っている。
それが不思議と心地よいのだ。
イボがなくなった嬉しさもあるかもしれないけれど、
どうなるかわからない異物と向きあってモヤモヤとした毎日を送るより、
このひと時の強い痛みを引き受けて、痛みを感じる自分を慰めながら過ごす方がマシってやつだ。

そして、その痛みもやがて忘れる。

信じたい人は、信じることで救われる。
答えを知りたい人は、永遠に求め続ける。
わたしは後者だ。
だから、宗教に救いを見出せなかった。
おまじないに憧れながら、現実しか見えていない。

何の話だっけ?笑

自分にとっての異物とどう向き合うか。
色々試した4ヵ月と、手術を決断した一瞬、
両方あってのわたしなんだと思う。
見切ったら早いのは、女だからこそかもしれない。

#エッセイ #コラム #治療 #自己分析 #心理
#育児






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