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何でもなかった日
昨日、母に付き添って検査結果を聞きに行った。
結果、原因不明。
血液検査の数値から異常が考えられる箇所には、石も腫瘍も閉塞もなかった。
はじめに調べた数値も、ほぼ正常に戻っているとかで、とりあえず様子を見ましょうということになった。
うん。よかった、よかった。
わたしたちは、よかったねと一瞬だけ言い合った気がしたが、すぐに別のことを考えていた。
母は、自分の信じようとしている健康法やら健康食品を先生に笑われたと言ってショックを受けていた。
はっきりとした原因が特定できなかったせいか、体調を崩す前1週間食べ続けていたタケノコか、友人と食べ過ぎた寿司がいけなかったと信じ込んでいる。
先生の説明はほとんど頭に入っていない。
一方、わたしは、何でもなかったからこそ抱ける不謹慎な思いを抱いていた。
(ちょっとつまんない)
もちろん実際に母に大きな病気が見つかったら大変なことだらけだ。仕事も制限しなければいけないし、誰がどうやって面倒見るんだという問題もあるし、当然悲しいし。そうならないに越したことはない。分かっている。分かっているけど、そう思った自分がいたのは事実だ。
夫や子供たちだったら、こんな余裕は恐らくない。
たぶん、自分の母親だからこそ抱いてしまった感情だと思う。
同じシチュエーションでも、抱く感情に決まりはない。どこまでも自由、自由、自由。
何を信じるかも自由。
親子関係は人を強くも弱くもする。
わたしは強くなるためにこの人の子供になった。
人ってこんなに違うんだ。
分かり合うってどんなこと?
そんな問いをこの人生に持ち続けるためだったんじゃないかな。
でもね、本当は分かっている。
誰かと一緒になりたくて、
深く深く分かり合いたいだけなんだって。
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