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Instagramでの繋がりが、惰性で続く年賀状のように感じてしまった話。
先日、玉川上水沿いをボーッとしながら歩いていたら、ふと"インスタのメインアカウントを消す"というアイデアが降ってきた。
そんなそんなさすがに何でそんなこと、と思いながらも(いや、どこにそんな躊躇する理由があるんだっけ?)となった。
消してみたらどうなるんだろう、、、?
そう思ってからは早かった笑
興味が散漫だし、人格も散漫だから、発信するテンションを一定にすることができない。
発信は、仕事も趣味も順調で、家庭円満、日々充実!みたいな姿をかろうじてキープしつつやってきた。
本当のことを書きたいけど、本当に本当のことなんて書けない。そういう場ではない。
かと言って仕事の営業一色にして毎日発信するほどの気持ちも対象もない。
そして、人の発信も見れたり見れなかったりどうでもよかったり感動したり応援したり、まぁ色々。別にそのままでもいいんだけど、何というか惰性で毎年送りあっている年賀状みたいな。そんなダルさがどこかに付き纏っていた気がする。
(年賀状はもう書いてないけど)
そんな訳で、あれ、、、別になくなってもいいかもと思ってしまった。
会いたい人には直接連絡を取って会いに行こう。
わたしに本当に会いたい人からは直接連絡が来るだろう。
食べるのが大好きなので、食べた物とひと言記録していくアカウントと、読んだ本の記録、アルコールインクアートの作品置き場とアカウントを分けた。
好きなこと、本当に興味のあることを追っていく使い方は面白いなと思って楽しんでいる。
食べ物アカウントでは、あ、あの人は!という人を思い出したら可能ならばフォローする。でも、ゆっくりゆっくりでいいかな。
時々、長年積み上げたものを執着なく躊躇なく手放すことは、たぶんわたしの特性でもあって、、仕方ない。
それがどうだとかあまり深く考えずに、手放した後に起きる違う感覚を楽しもうと思っています。
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