合理的になることで、幸せはある程度担保される。
結論から言うと、
幸せとはその人それぞれが感じる絶対的なものだ。というのは間違いで、かなり相対的なものである。
そして、お金、人間関係、社会的価値、この3つをある程度安定して持っていることが相対的な幸せの土台となる。
だから、
稼ごう!人と上手くやろう!いい仕事しよう!
という話です。
しかも、合理的に。
読んだ方は分かると思いますが、橘玲さんの著書『シンプルで合理的な人生設計』を読んで影響されてます。笑
これまでのわたしは、合理的なことをちょっと良くないことのように見做してきた。
つまらない、冷たい、遊びがない、キチキチしている、自由がない、ルーティンは嫌い、打算的、みたいな感じで。
でも最近になって、合理的にならないと大切なことは見えてこないのでは?と思うようになった。
先に大切なものを優先しようとするから、こんがらがる。
わたしは世界中の人生ひとつひとつを体験したいと思うくらい欲張りなのは分かっていたけれど、年齢とともに?精神の成長とともに?自分の人生にも当然限りがあることがジワジワと沁みてきている。
そういう気付きに蛍光ピンクやイエローのペンで目眩しするかのように、界隈では「もっともっと欲張りに!」とキラキラした思想が声を上げる。素晴らしい、あなたたちの頑張りは素晴らしいけど、ごめんなさい全然しっくりこない。
そんなのに振り回されていてはダメだわ。わたしに必要なのは足るを知ること!と崇高な思想にも触れる。うーんいやいや、諦めた先の幸せとかあと30年後でいいし、、
そこで普通なら登場するのが、"価値観"というもの。
自分にとって大事な価値観を見つけてそれに従って生きれば幸せという考え方。
実は、これがけっこう厄介なのではないかと思ってます。
人と比べないで自分だけの幸せを感じられる瞬間はもちろんあるけれど、その感覚をずっとずっと持っていられるかというと、本当に難しいことだと思いませんか?
山に篭って誰とも会わないとか、
人目が一切気にならないくらい精神振り切ってどこでもニコニコしたり、おしゃべりしたり、歌ったりできるようにならない限り、自分の大事な価値観を絶対の拠り所としては生きられない。
他人がいて、揺らぐのが人間。
だから、大事なものはちょっと横に置いといて、とりあえず今の生活の中で合理的にできる部分を見つけてみたのです。
本当に身近なところから。
買い物の仕方、洋服の扱い、友だちとの時間、お金の稼ぎ方、増やし方、家事のやり方、など。
恥ずかしいので全部は公開しませんが、ひとつだけ書くと、買い物について。
わたしはあの生協というやつが全然続かない人間でした。毎週決まった日までに注文しなければならないというシステムが苦手で、というかどこかでそれをちゃんと注文してる姿がダサいようなイメージを持っていました笑
スーパーで気ままに買い物をするのが好きだし、その日その時に食べたいものを作りたいの!と。
それなのに、仕事の日は時間がなくてバタバタとスーパーへ寄って良い閃きもないまま取り留めもなく陳列棚を見て(あーーもうこれでいいや!)と決めることが多い。そして疲れる。。
とまぁそんな感じだったので、こうしました。
生協システムを利用して毎週届くものを決め、仕事の日はスーパーに寄らずに冷蔵庫にあるもので料理できるようストック前提で注文する。
ただし、仕事のない時間のある日は、好きなだけ迷いながらスーパーでゆっくりメニューを考えて、気ままに買い物をする。
と、合理的に、
"合理的にする部分と非合理にしておく部分を決めた"のです。
非合理な部分を合理的に楽しむ仕組みを作る。
なんかこの発想、すごくないですか??笑
そうして人間関係も見直すと、ひとりで色んな分野を一緒に分かち合える友達が、すごくタイパが良いということが明確になったりもする。
なんか失礼なようだけど悪いことではなく、その人の事を心からいいなぁって思えるようになりました。
働き方も変える部分が見えてきたし、お金のことも前より冷静に向き合えるうになった。
お金、人間関係、社会的価値、この3つをある程度安定して持っていることが幸せの土台であるならば、
より無駄なくお金が稼げて、
より無駄なく意味のある人間関係で、
より無駄なく自分を活かせる働き方をする。
誰もが平等に限られた時間の中で、これらを満たすと本当の余白と余裕が生まれる。
その上で、無駄や非合理さや、予想外、揺らぎながらもその時の自分に浮かび上がる大切な価値観を楽しむ、というのがわたしの望んでいる事なのかなと思いました。
生協のくだりとか、賢い人はとっくに仕組み化できているだろうから、ほんと恥ずかしいわ笑
でも、年齢とともに感じるのは、健康で使いたいように時間が使える時期というのはどんどん減っていくからこそ、相対的な幸せを合理的に掴み安定した上で、冒険や驚きや挑戦に向かいたい。迷いも体験したい。
あれ、これこそ本当の欲張りな姿にも思えてきましたね、、、、笑
とにかく、なんとなく大人になった気がした42歳の初夏の記録です。
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