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太陽から生きるエネルギーをいただく

今日もご多分に漏れず、朝、苦しさを感じた。
今日、何をするか?
これと向き合うのがしんどい。
これがしたい、とか思うけど、同時に、あれもしたい、とも思ったり。
そうなったら、どちらを選択するかで悩む。
そしたら、これをすべきじゃ?という声がして、
あれもできていない、これもできていない、と頭にぐるぐる回る。
毎日、できていないことを数えている。

やっと、これをしようと決めたはいいが、
出かけようものなら、洋服はどうする?持っていくものは?と次の問題が発生する。それ着たい、あれ着たい、これ持ってく、あれも持ってく、どれ持ってく?、、、どんどん削がれるエネルギー。

今日は、かろうじて、
朝思い浮かんだカフェにモーニングしに行くことを決めた。
15分で家を出ようと決めた。
15分で出るとなると、洋服は、これにすると決めた。
電車を待っている間に、メニューを決めた。
モーニングを食べてたら、今食べたくないことに氣づき、食べるのをやめた。
食べたい氣持ちがわいた時に、食べたいだけ食べた。
まるでカメのようなスピードで、モーニングを食べる。
途中、読書をはさみ、本からの氣づきをノートに書き。
自分がイヤだと思っている私をあげてみた。
ブツブツ文句言いの私。
損得勘定が強い私。
短氣な私。
ゆっっっっくりの私。
自分の想い通りにしたい私。
めんどくさがりの私。



私は、こんな私がイヤなんだなぁとしみじみ思う。
そんなこんなして、モーニングを食べるのに、
かれこれ、3時間はかかった。
モーニングを食べている最中にふと思い浮かんだ。
海に行きたい。
海に行って、砂浜に手を置きたい。
砂に触れたい。

苦しい。
これで正解なのか、何したらいいのか、問いが頭に浮かぶ。
したいこと、衝動で動いている。
ただ、自分の欲求のまま、ラクに流されて生きている。
こんな私はダメ。
こんなことが頭に浮かびながら、海に向かう。

砂浜に到着して、ただ広がる空と海を見て、深く息ができるようになった。
砂浜を歩き、波打ち際近くに座り、右手を砂の上に置く。
氣持ちがいい。
左手も砂の上に置く。
氣持ちがいい。
胸のところにあった苦しみが砂に吸い込まれていく感じがした。
本当に砂が吸い込んでくれたようで、苦しさがなくなった。

雲間から指す、沈みゆく太陽をぼーっと眺めていたら、
「私は生きていい」
という言葉が頭に浮かんだ。
「誰がなんと言おうと私は生きていい」
寒風の中、太陽の熱を感じ、エネルギーをわけてもらった感じがした。
太陽からのメッセージだと思った。

衝動で動くことはダメだと思っていた。
よく考えてからでないとダメ。
でも今日、衝動で動いた結果、
苦しみを砂が吸い込んでくれた。
太陽が生きていいと言ってくれた。
太陽の熱を感じた。
生きるエネルギーをもらった。
こんなの、頭で答え出る?

家に帰って、久々に料理ができた。
包丁で切る時、自然と肚に力が入っていることに氣が付いた。
肚に力が入らないから、料理ができなかったと分かった。

太陽から生きるエネルギーをもらうなんて、まるで植物みたいだ。
光合成するのは植物だけでなく人間も、動物もなのかなと思ったり。
人間も、と大きく出たけれど、
少なくとも、私はそうなのかもしれないと思った。

これからは、太陽からエネルギーをいただいて生きていきたい。

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