弱っていた時、救われた言葉
文章を書くことは、難しい事だと
つくづく思います。
気がつくと
自分、自分となっていて
ハッとする時があるからです。
仕事柄
お話を聞く立場として
自分のことを題材にしていいのかなと思いましたが
少し、お付き合いください。
私は、32歳で運良く結婚相手に恵まれた
44歳になったばかりの
アラフォーです。
子どもはいませんが、
自分を人間だと信じている
息子のような猫さまがいます。
この度
44歳になるタイミングで初めて、双子を妊娠し、
流産をしました。
着床自体、初めてでした。
結婚当初から、お金を工面し、
様々な不妊治療を行ってきました。
子宮筋腫の摘出手術も経験しました。
今は、保険がきくようになった不妊治療も
私の30代当時は保険適用しておらず、
42歳をすぎれば、また自由診療、10割負担。
保険適用となり、
少し金銭的に助けられたのが
3年ぐらいです。
そんな中、12年たっての奇跡の着床でした。
高齢出産ということで、
どうなるか分からず、
本当にわずかな方にしか報告できませんでした。
体力もなくなってきていて、
あいかわらず仕事もあって、
何もないように周りに振る舞うことは
心と体力との闘い。
子どもを授かった喜びさえも忘れるほどで、
自分の精神力の弱さに打ちのめされる毎日でした。
しばらくして、
双子の心拍が聞こえないということで
稽留流産となりました。
とても信頼している同僚にその結果を伝えたところ
「本当にお疲れさまでした」
とだけメッセージがきました。
それまで、先生から流産の結果を聞いても
涙も出なかったのに、
急に涙があふれて止まらなくなりました。
「本当に今回は残念です」
というねぎらいの文章は
いくつか頂いていたのですが、
(優しさで頂いた文章なのは分かっています)
どこか人ごとのようで、
「ご心配おかけしました」
と返事をしてみたり。
「本当にお疲れさまでした」
という言葉を読んだ瞬間、
私がんばったよね、もういいんだよね、
いろいろな感情が溢れでてきました。
いつも、「共感」や「同情」は違うと
偉そうに言っていた私ですが
ここにきて、自分が心から学べた「共感」というあり方でした。
もし、身近に似たような方がいたら
参考にしていただければこれ幸いです。
いつも、生きるヒントなんていっていますが、
かめ子である自分自身への教訓なのです。
最後まで、読んでいただきまして、有難うございました。