恋と愛となにか。
休みの日は晩御飯を担当しているのですが、昨晩はハンバーグを作ったのです。なかなかグッドな出来だったのでご満悦です。
色々レシピ試してみたこの5年間。和食に始まり、洋食・中華・・・時にはメキシカンなんかに手を出してみたりと紆余曲折でしたが、それだけ経験値を積み重ねると自然と定番メニューというものが爆誕するものです。
「美味しいものを作る」
これは大切なマインドですが、それだけだと結局は自己満足でありエゴだと思うのです。提供先が満足して初めて美味しいものを作ったと言えるのではないだろうか?そのように思いますよ。
さて本題。
恋愛という単語がありますが、恋と愛は似て非なるもの。恋とは一方通行であり、自分の欲望を満たすだけのものだと思うのです。自分では『愛だ』と思い込んでいるけれど、それは自己満足ってことも。
片想いも恋じゃないっすか。しかしそれは一方通行。
告白するシーンも同じことが言えますよね。自分の気持ちを伝える行為は主体(主語)が自分ですから。
付き合ってからはどうか?
自分の価値観を押し付けようとするのも自分が主体ですね。自分の思い通りにしようとすることや、思い通りにならなかった時に鬱憤を溜めるのもそう。
『なんで私のこと分かってくれないの?』
『俺はアイツのことをこんなに考えてるのに!』
こう思っているようでは、いつまで経っても関係性は変わらないでしょう。いや、相手から逃げられるかもしれません。
冒頭の料理を例にとれば分かりやすいです。
自分では美味しい料理を作ったつもりでも、相手の口に合わなければそれは自己満足でしかないっす。相手が『美味しい!』と思ってくれることで、本当の意味で美味しいものを作ったと言えるわけですな。
では、相手に美味しいと思ってもらうにはどうすれば良いか?
腕があるだけではダメだって分かったじゃないですか。なので、相手の好みを知ろうとする意識や、どんな味付けが好みかを注意深く知ろうとする探究心が必要になります。
自分の好みを押し付けるのではなく、相手の好みを知り、喜んでもらえることに価値を置く。これこそが愛とイコールなんですよ。
自分を主体にするのではなく、相手を主体に置く。自分本位のままだと恋の炎は消化されますが、相手を思う姿勢なら恋から愛に昇華できます。
しかし、時には自分を抑えてしまうことにもなるので、苦しい時もあるとサウザーさんも言ってたような気がしなくもないですが、結局はどこに価値を置くか?なんですよね。
自分の満足を追求するのか?
相手の喜びを自分の喜びと捉えるのか?
価値観次第ですな。
サウザーさんも最後は愛に目覚めてました。
追伸:
明日は仕事が早いので1日前倒しブログっす。なので明日・明後日はお休み。
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