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秋の終わりから10年さきへ



 家を出てすぐに風に吹かれた。服を素通りしたかのように肌に直接、寒さが沁みた。もう冬のコートを出した方がいいようだ。

 昨日、契約がきれて仕事を失くした。十月の終わり、秋の終わり。
 
「大きくなったら何になりたい?」
 という問いに、子供の頃は無邪気に答えていたっけ。今は「この先何になりたい?」聞かれても答えられない。未来は茫洋として霧の向こうにあり、一歩先だって見えはしないのだから。

 十年前はまだ未来を信じていたように思う。フリーターから安定した正社員生活に切り替え、これで自分は一生安泰だと思っていた。けれど病気ですべては変わった。この世に安定などというものは存在しない。
 人間が死んでしまうものである限り「あり得ない」ということは「あり得ない」。

 
 十年前から私は安定性のヒエラルキーを転がり落ちているように思う。家業、正社員、契約社員、派遣社員、そして無職。
 ああ、安定などあり得ないと言っておきながら。気付けば、まだ安定神話を謳う自分を嘲笑う。
 何が安定しているかと言って、無職ほど安定した職業はないではないか。無職はそうあろうとするかぎり無職であり続けることができるのだから。
 そうやって空々しい強がりを言ってみても、これから未来への不安は消えない。

 ますます寒さが身に沁みて、十一月になるのだという実感が湧く。冬がきたのだ。

 冬用のコートに着替え、無料配布の求人雑誌を取りに行く。化繊のコートから出た手が冷たい空気をまとい、よく冷えた雑誌に触れる。冷たさがぞっと背筋を駆け上る。
 それはまるで、これからの先を思った時の心のあり様のようで。

 帰り道、駅前に仮装した人が集まっていた。かぼちゃランタン、魔女、魔法使い、ゾンビ、さまざまな物の怪が笑いさざめいている。

「とりっくおあとりーと!」

 小さい子供が駆け寄ってきて私に向かって叫ぶ。私は菓子など持っていない。子供に与えるものなど何も持ち合わせてはいないのだ。

「はい!」

 その子は私に手を差し出した。その手には小さな飴が一つ乗っていた。私がその飴を取ると、子供は、にいっと笑って駆けていった。子供が握りしめていた飴は、ほんのりと暖かい。私はそれをポケットにそっと入れた。

 十年後、あの子は何になっているだろう。何になりたいと思うだろう。
 何でもいい。あの子が思い描いたものになれなくてもいい。ただ、幸せであってくれたらいい。

 あの子が安定して生きていける未来のために、私はもう少し頑張れるような気がした。
 握りしめていた求人雑誌は、冬の晴れた日の光を浴びて、少し暖かくなっていた。

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