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医療と福祉。聖徳太子の国つくりの理念を見直す。

大阪、四天王寺。日本最初の官立寺院です。

ということを、日本の歴史学では認知していません。四天王寺はなんかしら、まがいものではないか。歴史学の妙な偏見です。

明治政府は、キリスト教的一神教を模倣した、現人神天皇を絶対化する神道を普及するため、長い歴史のある神仏一体の日本の信仰を否定します。仏教寺院は、ひどい場合は打壊しの被害をこうむりました。

そんななか、フェノロサは寺院の文化的価値を政府に説得します。彼の調査の重点は、奈良と京都におかれます。いご、奈良と京都は歴史の聖域として、帝大アカデミズムでも特別視されてゆきます。

大阪は、軽く視られました。

フェノロサが亀井水の調査に訪れていたら、驚愕したかもしれません。日本の庶民文化を世界に紹介したラフガディオ・ハーンは、亀井水を訪れて、大阪の庶民の信仰の深さに感動しています。

四天王寺は、大阪のバッタもん、研究にも値しない。それが、日本の歴史学です。

四天王寺も亀井水も見ないで聖徳太子を論ずる。そんな不幸な時代が、まだ続いています。

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カドカワムック怪45号で紹介された、亀井水です。中沢新一さんの四天王寺論、私の亀井水調査のレポートが掲載されています。2015年7月。

水の神とはなにか。社会の片隅に押し流されながらも、世界の根底をなす無名の命。あらゆる病者、障がい者もないがしろにしない、救済の思想。その水の普遍的な霊性のうえに建立されたのが四天王寺であった。

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四天王寺は、四箇院という構想により建立されました。基礎学問としての仏教研究の寺院。医療をになう、療病院と施薬院。弱者保護の福祉をになう悲田院。

聖徳太子が四天王寺に実現しようとしたのは、医療、福祉と切り離せない仏教だったのでした。現在も四天王寺さんは、その教えを忠実に継承されています。

covid19対策として、四天王寺さんも現在全お堂を閉鎖されています。毎日たゆまず、祈りをされておられます。

聖徳太子の理想を胸に、災害の困難を克服する、叡知を信じましょう。南無。

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