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歴史文化都市大阪の再発見を

京都や奈良ならば、その都市論には、まず歴史的背景が語られます。

明治維新政府は、宗教も歴史も自分達が刷新すると、神仏分離(廃仏毀釈)、神社統合をすすめます。歴史も書きかえ、地域の風土も無視する。

その文教政策に、一定歯止めをかけたのが、フェノロサと岡倉天心でした。特に、京都、奈良の古代寺院を調査し、外人顧問として文化財保護を進言します。

京都、奈良は、国民的歴史風土として、帝大アカデミズムによりさらに別格視されてゆきます。

大阪は?論外でした。

四天王寺に資料調査に訪れた文部省官僚は、見るべきものなし、とそそくさと退散します。

だから、大阪市の問題を語るとき、歴史や文化、風土は、捨ててもかまわない。明治維新以来の偏見を、平成の自称維新も、平気で語り、市民も拍手喝采しました。

京都に引っ越したら、まず歴史への感慨にとらわれます。

大阪に引っ越したら、そんなものは端からありえない、と刷り込まれてしまう。

東京に絶望した江戸っ子、谷崎潤一郎も、どっぷり関西文化にひたりながら、大阪市にはなにか違和感をいだいていました。

大阪市には、歴史から没落した風土しか感じられない。


亀井水は、不思議な空間でした。

大阪市のど真ん中で、維持されてきた古代の時空間。

古代宗教都市としての大阪市。その風格、倫理性、は本来とびぬけたものがある。

やはり、どのような都市論であろうと、歴史から発想されないと、干からびた制度論にしかならない。それは、情緒的現状維持などではありません。

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仁徳天皇の時代、宮中には、いかしり、いくたま、ふたつの巫女集団がありました。いかしり、は上町台地の豊かな地下水の霊力。いくたま、は難波の海が産み出すラグーンつまり砂州の霊力。

このいくたまの風景が、国産み神話に語られたのではないかと、私は考えます。

ラグーン都市大阪は、根源的なウブスナ・産土の風土なんです。

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