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宮武外骨vs四天王寺



滑稽新聞1901年~8年

😲宮武外骨VS四天王寺。とりあえず外骨、幼名亀四郎さんのほうが評価はたかい。


大阪の文化人には、四天王寺はあまり評価されていないように感じられます。
江戸時代末までは聖徳太子信仰の主流は四天王寺でした。それが政府の宗教政策により軽視され、奈良京都を別格視するアカデミズムにより四天王寺は俗信の寺と、研究は封じられます。



それに決定打を浴びせたのが、宮武外骨(自画像、頭が常に噴火🌋)の滑稽新聞でした。

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成り行きは、たしかに四天王寺さんの大失敗もありました。

日本初の実質的な万博となる、内国勧業博覧会にあわせ、一大事業を四天王寺は考えられます。そして打ち出されたのが、前代未聞の大吊り鐘です。直径五メートル高さ八メートルの鐘。四天王寺の当時のパンフレットいわく、一声雷鼓霆撃(イッセイライコテイゲキ)のごとく全市中に轟きわたる、はずでした。しかし、計画から実現まで鐘ないし音響の専門家の検討をあおぐことなく、暴走された。楽器として鐘を考えたら、巨大化により発声周波数はさがる。限度を越えると、可聴帯域のはるかしたの低周波しかでない。失敗は予想されました。

四天王寺を笑いのめしたのが、宮武外骨でした。巨大梵鐘の計画を聞くや、狂気の妄想、銭の亡者と。ああ悲惨。四天王寺は悪代官の典型にされてしまう。

今も反骨のジャーナリストとして人気ある宮武外骨です。それに対して、四天王寺軽視の気分は根強い。

大梵鐘はどうなったか。鳴らずの鐘と評判になり、有料で見るだけで公開され、やがて第二次大戦の金属供出で消滅しました。

外骨は本名。幼名は亀四郎。

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