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「Take Down」百弓繚乱

昔、ワンピースボウの時代、タクシーを止めるのも大変でした。止まってくれないのです。そして、やっとの思いで止めたタクシーに、弓を乗せるのも一苦労でした。助手席の窓を開けてもらい、そこから弓を差し込んで運転席との間に載せてもらいます。アローケースはそれとは別に、後ろのトランクです。そして運転手さんには嫌な顔をされて、「編物機ですか?」と言われるのです。
ワンピースボウのデメリットは、それだけではありません。弓が折れれば、別の弓を使わなければなりません。グリップも違えば、ポンドもティラーハイトも異なります。まったく同じ弓を2本用意することは、ほぼ不可能です。
 
アーチェリー競技で、現在我々が使っているような「テイクダウンボウ」と呼ばれる、分解式の弓が使われるようになったのは、1972年ミュンヘンオリンピックからです。
オリンピックで、アーチェリー競技は、1900年第2回パリ大会で正式競技になりましたが、1920年第7回アントワープ大会以降、競技から外れていました。それが52年ぶりに復活を果たしたのが、第20回ミュンヘン大会です。この記念すべき大会で、初代ゴールドメダリストとなったのが、男子はアメリカのジョン・ウィリアムス、女子はドリーン・ウイルバーです。ふたりは、参加のほぼ全選手がワンピースボウを使う中にあって、ホイット初のテイクダウンボウ「TD1」で、驚異的新記録とともに栄冠を獲得したのです。

この年までほとんどすべての選手は、木製の「ワンピースボウ」と呼ばれる、分解できない弓を使っていました。ジョン・ウィリアムスが前年ヨーク世界選手権で優勝した時も、ホイットワンピースボウ ProMedalist 5pm で、2位のドリーン・ウイルバーも同じです。ホイットは、ワンピースボウの時代、1967年アメルスフォールト世界選手権からずっと世界を制してきました。

1971 York - Hoyt 5pm / 1972 Munich - Hoyt TD1

では、1972年以前にテイクダウンはなかったかというと、そうではありません。ミュンヘンでは、アメリカチーム6名全員がテイクダウンボウを使っていますがホイットの2人を除けば、BlackWidow、Darton、Bear社の、最新テイクダウンボウを使用しているのです。 

Black Widow T1200
Hoyt がレコードホルダーになる前、Black Widow は最強でした。
そしてミュンヘンでも数名が使用しています。

1970年代初頭、多くのメーカーがテイクダウンに魅力と未来を感じていました。しかし、どれもが試行錯誤の段階で、性能、精度的に完成には程遠いのが現実でした。今のような金属のハンドルだけではなく、木製ハンドルで分解できるもの。3分割ではなく2分割のテイクダウンや、金属製であっても分解しないタイプのものなど、さまざまな弓が作られていました。そんな中での、ホイットのテイクダウンデビューは、アメリカの巨大ハンティング市場の中にある競技用リカーブボウメーカーに、大きな選択を迫っていくことになります。

Wing CompetisionⅡ
金属製テイクダウンは1973年から作られ、
ミュンヘンでは、木製ハンドルのPresentationⅡが使われる。

ワンピースボウから、テイクダウンに乗り換えるか。あるいは、1969年に生まれた滑車の付いた弓に手を染めるかです。テイクダウンへの移行は、利便性から考えて、どのメーカーも理解していました。しかし、コンパウンドボウは、予感はあっても、これほど巨大な市場に成長し、リカーブボウを飲み込むとは誰も考えられなかったのです。そんな中、多くのメーカーはリカーブボウを見限りコンパウンドボウに、一部のメーカーはその両方へとシフトしていくのです。

Hoyt TD1 がデビューした時の、他社テイクダウンボウのほんの一部です。
名器Black Widow, Bear, Wing, Carroll などもあります。

ところがこの時、そしてこの後もホイットだけは、コンパウンドボウには、手を出さなかったのです。 

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