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プロフェッショナル
この広告を、覚えていますか? 1974年に雑誌に掲載された、ジョン・ウィリアムスです。写した場所は東京。今見ると何とも思わないかもしれませんが、これは画期的な出来事でした。この時まで、「選手」が写真はもちろん、名前であっても広告に登場することはなく、メーカーのロゴやステッカーを貼ることも、宣伝することもできませんでした。アマチュア規定違反です。
当時、アマチュアとプロフェッショナルは厳格に区別され、アーチェリーの世界にプロは存在しませんでした。とはいえ、世界で唯一アメリカには、1961年に設立された、「Professional Archers Association」という組織があり、今も活動を続けていますが、それらを含め、プロとアマを区別する最も大きな違いは金銭の授受であり、FITA こそがアマチュアを代表する組織でした。FITA がプロとアマの垣根を取り払うのは1988年以降です。
そんな中 1973年、ジョン・ウィリアムスは自らが、 FITA の世界で最初の「プロフェッショナル」になることを宣言したのです。
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契約書にサインをしました。
1973年全米選手権で突然の出来事でした。トリプルクラウンをはじめとし、数々のタイトルを獲得、世界記録を樹立し、アマチュアの世界をすべて制覇した者にとって、残されたのはプロフェッショナルの世界しかなかったのでしょう。Wing Archery を設立したボブ・リーは、フレッド・ベアーやベン・ピアソンらと並ぶ伝説のアーチャーで、1963年には現在のテイクダウンボウの原型ともいえる、木製3分割分解可能な PresentationⅡを発売しています。そして1973年からジョン・ウィリアムスが使ったのは、最新アルミテイクダウンボウ CompetitionⅡでした。
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翌1974年にはプロモーションで初来日、東京、大阪でデモンストレーションシュートを行いました。しかしこの年に発売された、彼の名を冠したモデルは、初心者用のおもちゃの弓でした。当時Wing Archery を傘下に収めていた、ボウリングで有名な AMF はスキーやゴルフ、アスレチックと幅広く展開していましたが、その後経営が行き詰まり破綻します。そこで1980年に入り、彼は新たにヤマハアーチェリーと契約を結ぶのです。
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そして1984年ロサンゼルスオリンピックでは、アメリカチーム男子コーチとして再びゴールドメダルをアメリカにもたらします。
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