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アマチュア

アーチェリーを含め、スポーツの世界で「アマチュア」という言葉は、すでに死語となっています。例えば、我々のバイブルともいうべき「全日本アーチェリー連盟競技規則」の表紙を見てください。そこにある紋章には、「All Japan Archery Federation」の文字があります。実はここには、1999年度版まで「Amateur」の文字があったのです。しかし2000年から、文字が消えました。

「アマチュア規定」の原型は明治から大正に変わる頃にできたようですが、その頃は身分や職種の差別や排除といった差別的色合いの濃いものだったようですが、それが戦後になってスポーツ精神を中心とした「論理規定」に徐々に変化していきます。「金銭あるいは金銭に等しい報酬を得ようとする目的のために競技するものを排除」というように、「金銭を得るか、得ないか」がその境目となっていきます。金をもらったり、宣伝や広告塔になってはダメということです。日本体育協会の「アマチュア規定」は、1947年に制定されます。1953年と1970年に改正が行なわれていますが、この規定の原型になったのが、1901年に統一されたIOC(国際オリンピック委員会)のアマチュア規定でした。ということは、世界から46年遅れて、日本にルールとしてのアマチュア規定が導入されたわけです。しかしIOCでも、1974年にオリンピック憲章から「アマチュア」の文字が消えます。

この時から選手は「アスリート」となり、各IF(国際競技連盟)はそれぞれの規則範囲内において、アスリートが金銭の授受ができるようになったのです。「プロフェッショナル」の誕生です。そして1981年にIOCはオリンピックへの参加資格そのものも、各IFに一任してしまいます。こうなると競技団体ごとに、プロの参加から、賞金大会、参加報酬授受へと進んでいきます。これに日本体育協会が対応するのは12年後です。1986年5月7日、日本体育協会は「日本体育協会アマチュア規定」と「アマチュア・スポーツのあり方」に代わる「日本体育協会スポーツ憲章」を施行しました。これによって、日本でもアマチュアはなくなり、アスリートが金銭を受け取ることができるようになったのです。

しかしアーチェリー連盟においては、未だその境目は曖昧で「プロチュア」と「アマフェッショナル」が混在しているのが現実です。



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