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肖像権と版権

あなたが結婚式で、プロの写真屋さんに頼んで写真を撮ってもらったとします。そのプリントした写真をあなたはお金を出して購入するわけですが、写真屋さんは、写真はくれても、ネガまではくれません。なぜなら基本的にあなたを写したという「肖像権」はあなたに存在しても、それを写した「版権」は写真屋さんが保有しているのです。だから写真屋さんは、肖像権を持つあなたの許可を得て版権を利用して商売をするわけです。
このように、肖像権は本来その個人が保有するものであり、スポーツ選手であっても自分の写真なのですから、然りのはずです。ところが競技団体に「プロ」として登録された者以外は、JOC(日本オリンピック委員会)に加盟する競技団体の役員・選手の肖像権はJOCに帰属しているのです。そしてJOCは、協賛企業にだけ肖像の利用を認めることで、協賛金名目で選手強化資金を集めるのです。これが1976年に始まった、「がんばれ! ニッポン!」キャンペーンです。

ところが当時、日本体育協会には「アマチュア規定」があり、選手の肖像権によってJOCが経済的利益を独占的に得ることは、自己矛盾でもありました。JOCは本来肖像権を持つ選手の意思とは無関係に、一方的にその肖像権を奪っていたのです。しかし、1986年の「スポーツ憲章」制定によって、「アマチュア規定」が実質廃止されることで、今度は企業に所属する選手にとっては、キャンペーン自体が問題視されるようになってきたのです。
この問題に対して、自分の肖像権を自由に使いたいと要望したのが、マラソンの有森裕子選手でした。彼女がプロ宣言をした時、最も衝撃を受けたのはJOCです。
日本の有力選手の肖像権を切り売りする、JOCの「がんばれ!ニッポン!」キャンペーンに反逆したといわれるこの“有森ショック”は、オリンピック競技の選手強化の資金源やその有効性を考えるうえで、さまざまなテーマを提供しました。結果的には、日本陸上競技連盟は「職業として陸上に携わる」選手を、以前からプロ選手を認めているテニスやサッカーの競技団体同様に「プロ登録選手」に準じて扱い、それらの選手の肖像権をJOCの拘束から外したのです。これはJOCのキャンペーンとは別に、独自の競技者規程により選手自身の自由な肖像権利用に新たな道を拓くものとなりました。

ところで新聞やテレビをはじめとする公共のメディアにおいては、選手の肖像権は「報道」として扱われ問題とはなりません。それは報道の自由、表現の自由といった観点からであって、名誉毀損や不公平な表現がないことが前提です。では「雑誌アーチェリー」はというと、これは報道や普及といった理解の元での、アーチェリー連盟と雑誌社との紳士協定ということらしいのですが、名前や顔が出ることでしか購買数を伸ばせない現実をどう考えるのでしょう。
1988年、雑誌アーチェリーは「阪本企画」から「レオプランニング」に引き継がれました。あの時の編集前記「MOVE UP」に託した純粋で崇高な思いを、今一度思い返してみるのはどうでしょうか。編集長の小松君は同い歳です。

1988年11月号

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