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【進化心理学】進撃キャラから分析する私たちの幸福論part.4『理想に体が追いつかない』

進撃を読むと分かるが、進撃の世界にはどうしようもなく優しい人間が多々おり、当然ながらその大体が死んでいる。だがその優しい人たちがなんらかの形で生き残りに意味を託し、間接的に世界を救っている。もちろん現実はそうではないし、スポットライトの当たらないところで大多数の優しい人たちは意味もなく死んでいる。もう本当に意味なく、だ。

なぜ意味がないか?この世は残酷だから。この世は食うか食われるかの食物連鎖だから。

それに意味をつけてありがたがっているのが人間で、実際は生と死に意味なんてないから。(団長……)


何度も言うように、自然界で優しさは隙であり甘さであり、優しさを晒したものから死ぬ。クルーガー、梟が巨人の寿命まで生き残っていたのは、義の心を隠して同胞を積極的に拷問し、指を落とし、醜悪な上司の元でも舐められないだけの残酷さを見せつけ続けていたからだ。

そうでもしなければ、生き残れなかった。
弱いものは生き残れない。

だからこの世界には(私たちの世界にも)ある程度嘘つきで、ある程度人を傷つけることのできる生き物しか残っていない。もしくは、他を押し退けて生き延びた者の子孫だ。

ここに一つのベン図がある。かなり簡略化された遺伝子プールの例だ。

あるところに一グループのフンコロガシの集団がいるとしよう。フンコロガシ達は限られた資源を奪いあって生きている。

フンコロガシはそれぞれフンを持っているのだが、ここでは大きいフンがあるだけ生きていくのに有利だとする。

ある時他フンコロガシを攻撃してより大きなフンを奪うコロガシが現れる。これをAグループとする。これにより、弱コロガシ(弱コロガシ?)もしくは温和コロガシの数が減る。これがBグループとする。Bグループの数は減り、略奪コロガシばかりの厳しい状況が続く。しかしある時Bグループの中から攻撃されただけ攻撃しかえす、反撃コロガシという新しい系列のフンコロガシが現れる。これがCグループである。

Cグループは有利になり、Aグループと拮抗した挙句Aグループが攻撃をやめはじめる。自分も死ぬのでそれは有益ではないからである。より平和的解決を選ぶ方が生き残りやすくなり、今や攻撃をしない者達、つまりBグループが栄える。しかし忘れた頃に、平和な集団相手に略奪を行うコロガシが圧倒的に優位になる。略奪者Aグループは再び数を増やす…。

これを私たちに置き換えると、

当たり前だ、負けるものが弱い。搾取してなんぼというあなたはAグループに属し、

そんなのひどい、もう無理ぽという人はBグループ。

AグループにやられたのでAグループを駆逐してやるというのが頭進撃Cグループなのである。


この世がBグループでできていたら良かったのにね。優しい世界なのに。と思うかもしれない。

では優しさとはなんだ?その基準はどこだろう。資源が尽きたら死ぬ。仲間をも守れずに、ただ世界の犠牲になるだけの壁の王スタイルが善なのか?究極的にいえば優しさとはそうなのだ。犠牲だ。だからこの世界は優しくない。優しい人は、なんか真っ先に滅びに行くからだ。

他の村を襲ってでも生き残った方が、家族を食わせて自分の遺伝子プールを広げていけるのだ。


※詳しくはリチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」を読むと他にも面白い事例がある。


だから我々は繁殖(エロ)とミーム(遺伝子を次世代に残す以外の代替となる複製行為、他者に与える影響力例えば創作活動)に執着する。ジークが精神と時の間座標で言っていた通り、生物の原初的欲求にただ増えるというシステムが組み込まれており、マジでただ増えることが目的に生きているのが我々生き物である。


単純で断面的な見方ではあるが、これらをベースに、今回例に出した何人かの進撃キャラの人生幸福(満足)度を分析してみよう。


サシャ


……19歳で殉職。多くの人に愛され、ニコロにうまいものをたくさん食わせてもらったらしい。最後まで飯の事を考えて死亡。その後の島(エレン)か世界か?という選択を迫られなくて済む。ガビ、カヤ、ニコロ、コニー、エレンと死後多くの人間に影響を与える。メタ的に言っても読者にも大きな影響(感情の揺れ)を与える。(言っているだけでカウントしない)完全な私見で人生幸福度60/100。戦時中にしては割と幸せな方だった。という感じ。エレンが開戦!しなければまあ…でもどちらにしても宣戦布告されてたけど…。


多分読者、視聴者の多くが願うサシャの幸せは、うまいものを出来るだけ食って家族みんな幸せに過ごすことだったろうと思われる(幸福世界第一層、自分と自分の愛する家族)。人生設計としてはニコロ(コニーは双子みたいなものって言っていたのでここでは除く)あたりと結婚しうまい飯毎日食わせてもらって大往生というところだろう。

結婚式のでっかいケーキを馬鹿みたいに食う写真も、(写真技術輸入)逆に緊張で食べれなくなっててもホッコリするよね……。

??「サシャは本当に良い子でしたから、私もサシャが亡くなった時は本当に悲しかったです」


ミカサ


……幼くして人売りに両親を殺される。アッカーマンパワーで愛する人を守る→遠ざかる→奪い返すを繰り返し最終的にその愛する人を自分の手で殺す。仲間と家族に囲まれ老衰。と思ったら永遠にエレンを愛してた。幸せ…カナー?人生幸福度25/100。


ヒストリア


……山あり谷ありで総合バランスで可もしくは良に落ち着いた奇跡大体押し付けられた運命なのに、それをわかりながら流れに乗る人生サーフィンの達人の可能性がある。流されて島の女王となり戦争を生き延びて大切な人を失ったけれど旦那と娘と仲間がいる。人生幸福度65/100。


ユミル(同期)


……多分スラム街の孤児かなにかで、嘘をついて束の間の尊敬と居場所を手にした。全部嘘だったので、愛する宗派のみんなもろとも楽園送りにあった。その時一度死んだも同然で人生幸福度5(始祖ユミルと一緒ぐらい)ぐらいだったのが、マルセルを食って第二の生を受けた。その後割と自由をエンジョイしていたけれど、ヒストリアを見つけて、放っておけず命をかけてヒストリアを守った。その後もらった巨人を返すためライナー達と共にマーレに行き、処刑された。最後手紙を書きながらヒストリアに後悔はしていないと言い切った聖人。でも他人を助けることで過去の自分をも救済した、みたいな面もあると思う。第二の人生を謳歌しても良かったけれど、やはりユミル様としての人生を続けて生きた。名前も変えて良かったのにそのまま使っていたあたり、多分、嘘だと知っていても、誰かの救いになっていたり必要とされることが快と感じる人だからだ。意外と奉仕型。人生幸福度60/100。


ユミル(始祖)


……悲劇しかない人生かと思ったら豚逃したり意外とプチ革命している。この人多分エレンより自由だ。ローマ帝国のエルディアの支配により村が焼かれ舌を抜かれる。私刑でひどい世界にオサラバと思いきや巨人化。巨人になっても奴隷から抜け出せない。無理やり生まされたと思われた(まあそうだけど)娘達にも愛情があったらしい。子どものことはもしかしたら王よりも愛する可能性はあったかもしれない。しかし普通の家族としての幸せがなかった。愛する人に最後まで妻として愛されないで死んで、死後も妻ではなく奴隷ユミルとして重労働するのはつらすぎる。ミカサがエレンを殺すのを見届けた時を除けば、人生幸福度3/100。3は逃した豚の数だけ。



エレン


……生まれながらにして自由の奴隷。何かが起こらないと行動を起こさないらしい。君フンコロガシのCグループにいた?自分の欲望(自由)と仲間への愛情を優先させたけど、死にたくないのに死ぬ。愛する人とも結ばれないで死ぬ。周囲に与えた影響も計り知れないが、本人は大切な仲間に長生きしてほしいの方が重要。これが大魔王みたいな世界を恐怖で支配したいみたいなやつだったらむしろ良かったんだがなあ。むしろ影響を与えることのできる世界そのものを滅ぼそうとしていた方なので、全く興味ない。承認欲求とかからおそらくかなり遠い男。人生幸福度10/100。


全員人生に波があり過ぎて、最終判断が難しいがこんなところだろうか。


幸せの定義


例えば主人公エレンが言う「幸せ」の定義はかなり単純だ。それはおそらく彼が得られない幸せだ。俺は早死にするから(早死にしたくないから)お前らは幸せに長生きしろよな、だ。そしてこの「幸せに」は多分、好きな人と結婚したり家族作ったりして楽しく生きろよなである。もう仲間や家族を失わないで済むようにする(しばらくは敵が手を出せないように壊滅的な破壊と威嚇行為を行う)からな、だ。

また戦時中なので幸せの基準が割と低い。現代みたいにモノが溢れていないので幸せを細分化している暇がない。現代だったらサシャの幸せの一つは日本へ行って築地のすし大で大トロセットを食べることだったかもしれない(細けーな)。

我々が進撃のキャラを愛しく思う理由の一つに、幸せの素朴さがある。また愛のある家庭に恵まれなかった人達が多いので、自己評価やアイデンティティがマイナススタートのキャラが多い。

でも彼らが想像を絶する悲惨な過去を持つ(フィクションのキャラだ)からと言って我々の幸せと比較できないかというとそうではない。

現実でも、どこどこの国ではろくに食べられない人がいるよ、この人はこんなにも不幸だからあなたもマシなあなたは我慢しなさいと言われたところでそれに限界があるようにーーー幸福と不幸とは個人の主観に委ねられるからだ。


結局今それを感じている僕私自身が感じたことが私たちの気分や考えに大きく左右する。私たちは基本的に論理的生き物ではない


それに散々時代が違うだの言ったが、今別に戦時中じゃないけどエレンの思う幸せの定義を満たしてない人多いよな?(オイオイオイオイ)


繰り返しにはなるが、私の考える彼の幸せの定義は以下だ。


- 家族が無事に長生きして仲良く過ごすこと

- 好きな人と一緒に過ごし、結婚すること。ずっと好きな人に覚えていてもらうこと。(ダブルミーム)

- 仲間や友達を作り時に自分以上に彼らを愛すること。

- 健康で安全に安心できる環境で長生きすること。

- 日々何かしら適度な挑戦があり成長し続けられること。

- 何者にも縛られず自由であり自由意志を持っていること。


最初の3つ激ムズだと思うのは私だけか?これって、もしかして人との繋がりが希薄な現代だからこそ難しいのでは?

その通りだ。(自問自答)


モノが満たされた分、精神的支柱がなくなってしまった笑 みたいなのが今の状況だ。

これらが原初的欲求が満たされないのを代替しようとするのは一つの案ではあるが、もしそれが代替案という明確な意識があるなら、その欲は尽きることがない。さまざまなアクティビズムもまた、尽きることのないミーム複製行為である。布教行為とか。アニメとか含む。アニメは日本の一大宗教だからね


それでなぜ我々が今幸せになれないかを考えてみる。


なぜ?まず一つに我々の幸せのために戦ってくれるエレンというモンスターが存在しないという事が挙げられる。

そして、進撃の世界を見てわかるように、ほとんどの国民は兵士ではないただの市民なのだ。パン焼いたり小道具売ったりするのが得意で、ガチの戦闘に行きたいのは一握りの戦闘の才能がある人間か頭進撃人間しかない。我々は兵士に守ってもらう必要がある。

そんな彼らでも日々の小競り合いや商売の駆け引きなどは自分でしなくてはならない。

同じく我々も、自分で対処することは多くあるだろうが、福祉やインフラなど、便利さでは以前とは比べ物にならないほど上だろう。例えばアメリカではあまりにも高い福祉システムのせいでまともに病院にもかかれない人が一般層にも大勢いる。

その超資本主義的福祉システムと比べれば、確かに北欧のような完全無料とまでも行かなくても世界基準で見ても日本はかなり医者にかかりやすく、質も平均して悪くない。

だから我々は長生きする。超高齢化社会だ。でも総じて幸福度は高くない

さまざまな因子がもちろんある。例えば幸福になるためには結婚するだけが全てでない、子どもを作っても本人のためにならない。だから自分は結婚もしないし子どもも作らない…という人も最近は増えている。
社会が発展し、さまざまなライフスタイルが可能になった今、従来の形と違う幸せの定義が生まれている。これは極自然な流れだ。結婚制度はともかく自由恋愛自体、割と最近の価値観だ。

だがそこで私が懸念しているというか、いや、このSNS時代に置いて絶対的事実として思ったよりも存在感を増してきたのが、我々の体が我々の理想より結構アホということである。


どういうこと……?


我々の体(脳含む)は我々の理想(理性)よりずっとアホである。


特に、テクノロジーに体がついてってねえ。それに新しい社会システムにたくさんの人が適応できていない。それだけのことだ。


そりゃ誰とも関わらず、ストレスなく楽しい趣味だけ続けていければ良い。でも多くのヒューマンは完全にそうやって生きるような脳・体の構造をしていない。

めちゃくちゃ内向的な人だって少しは人間と関わらないと体が危険信号を出してどこかで調子が乱れてしまう。


例えば進撃ではアニとかも一匹狼だったけどおさげ頭のミーナという友達がいたり、エレンに格闘技の技を教えたり、アルミンに気があったりヒッチと友情を育んだりしていた。あれなんか多くない?

私たちは他人と関わらねば生きていけない。それは社会的構造でもあるが、何より遺伝子に刻まれていて、それをしなければ生存危機反応を出す。孤独でたまらなくなったりするのはそれが原因だ。体、小賢しすぎる。


つまり私が言いたいのは、我々が必要とするしないに関わらず、我々の母体マザーボードが積極的にそれをしろと操作してくるということ。我々に自由意志は存在するのか?(迫真)


少なくとも我々はそれを知っているべきである。この体がオーガニックである限り、意思と生理的欲求に根差した願望との別離は困難を要する


そして第三に、現代社会でも我々はいくつかの幸福を叶えるために、戦う必要があるという事がある。


我々が戦時中でないと思っていても、この基本弱肉強食の世界は存在し、システムにもそれが組み込まれている。いつから冷戦じゃないと錯覚していた?

我々はフンコロガシの時によって構成を変えるABCグループだ。


そもそも、いつの時代も戦わずして(自分との戦いも含む)何かを手に入れられるわけがない。最初から何かを手に入れていたとしたら、それは自分以外の誰かが代わりに戦ってくれたからだろう。平和…とかね。


だから私達は出来るだけ、何が自分を幸せにするか、それを考えて積極的に行動するしかない。エレンは向こうみずではあるが、目の前に調査兵団というほぼ唯一の選択肢が用意されていたのは至極幸運だったろう(漫画だからね)。

我々の時代ではまずそこまで辿り着けない。選択肢が多すぎる上に、冒険者とかポケモントレーナーとかいうワクワクした職業がない……(小学生なの?)


全ては金になるかならないか、社会的に有利かどうかで決められる世知辛い……な世の中だ。

正直言って、日本では個人の意見よりも団体としての協調性や平均性などを重視するため、自分の本当にやりたいこと、自分を幸せにすること、が見つけにくい環境にある。それを習い事や部活活動で見つけられればいいのだが、何せ時間とリソースにも限界があるため、見つけられるかどうかはギャンブルだ。

また選択肢が増えれば増えるだけ、迷いも生まれる。

それでも、何が自分を幸せにするのか、知っておくことは今後の人生幸福度を上げるのに役に立つのだ。


そこでまず提案するのが、①自分自身の傾向と自分の当てはまるタイプを知ること。そして②自分にあった幸せの方法を抜き出して簡単なものから埋めていくことである。

①については、まずMBTIの無料性格診断をおすすめする。 

また進撃キャラを例にMBTIについて次回のNote Part4(シリーズが長い!)で分析するので参考にされたし。

※この進撃と現代幸福論シリーズは一応Part5で最後にスクールカーストに関して書いて一旦終了とする予定です。


ではまた次回。

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