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やさしさに触れ祖母のやさしさに今になって気づいた孫がここにいる(まよなかめがや#20)

先週のある日の帰り道
自転車で転んでしまった。
見事に体は地を滑り
掌からは血が流れ落ち
ズボンは膝が破れてしまった。

zozoで買って数回履いただけの
ズボンは左膝以外が嘘のようにキレイだ。
洗ったあとに広げてみたら
体を守ってくれてありがとうという
気持ちも広がっていった。


実際は転んだというより
すっころんでしまった。
この表現の方がぴったりな気がする。

すっころんだ話を翌日上司に話したら
「あーあれだ、車道から歩道に上がるときに
入射角がなかったやつね」
と転んだ状況をピタリと無駄のない一文に
納めてくれた。

頭のいい人は的確な言葉を知っているんだなと
転んだことの恥ずかしさよりも
(30代でズボンを破くほどに転んだんだぞ)
まだまだ身につけることがあるなと
キズパワーパッドを貼った掌を撫でながら
なんだか感心してしまった。


転んだときに「大丈夫ですか?」と
声をかけながら自転車を起こしてくれた
お兄さんがいた。
すっころぶ直前
ランニング中だった彼を颯爽と追い越したことを
立ちあがりながら思い出した。

お礼を伝えたことは覚えているけれど
掌の血が止まらなかったから
早く帰ることに意識が向きすぎていて
そのあと再度自転車で彼を追い越したか記憶にない。

直接彼になにかできなくても
困っている人がいたら
少しでも手を差し伸べて優しさを循環させたい。
そして彼になにかよいことが
形を変えてでも届いてくれたら嬉しいなと思う。


なんだか少しスピリチュアルな感じだけれど
純粋にそういうことを願って
考える時間がたまにはあってもいいなと思った。


誰かにやさしくするということは
意外と難しい。
そもそもやさしくするってなんだろうって思うし
やさしくしたつもりと
やさしくされたことがフィットしないと
「やさしさ」とか「やさしい」なんて
成り立たなかったりするんじゃないかと
思ったりもする。


亡くなった祖母はよく
「友だちとお金は大切にしなさい」
と言っていた。

大切にすることはやさしくすることなんだと思う。

祖母は晩年を長年老健施設で過ごしていて
ぼくはたまーにではあったけれど
休みの平日や土曜日によく会いにいった。
両親と行くことも多かったけれど
1人で会いに行く方がなんとなく好きだった。

施設に入って祖母の部屋まで行くと
だいたいは寝ていてそれ以外は
広間で他の入居者の
おじいちゃんやおばあちゃんと
一緒にテレビを観ていた。

みんなでテレビを観て老人のあの姿は
なんとも言えない可愛さがあって
ぼくはたまらなく好きだ。

広間で祖母を見つけて
「よっ!」って感じで手をあげると
それまでと表情を一つも変えず
祖母も右手を上げたことを
今でもよく覚えている。


「ここの施設にはコンビニがない」
「帰ったらなに食べようかね」
毎回同じことを口にする祖母に
「そうねー」
となんともな返事しかぼくはできなかった。

にこにこしながらそう口にすることが
正しいような気がしていた。
今でも正しかったように思う。

にこにこしながら
誰にも干渉されずに会話ができるから
ぼくは1人で行くことが好きだったんだ。

帰り際になると祖母は必ず
「友だちとお金は大切にしなさい」と
ぼくの顔を見ながら声をかけ
たまーにティッシュに3,000円を
包んで渡してくれた。
そして車椅子に乗りながら
エレベーターまで見送ってくれた。

エレベーターのところから
部屋か広間まで自分で車椅子を押して
帰っていった祖母を想像すると
なんとも泣きそうになる。


「友だちとお金は大切にしなさい」は
やさしさとあんまり関係ない気がするんだけど
今思えばあれが祖母のやさしさだったんだ
ということにぼくはつい最近になって
気がついた。
大切に思ってくれていたんだな。
我ながらなんとも鈍い孫である。


ついこないだお墓参りには行ってしまったから
今度墓前に行ったときに
気づいたことを伝えられたらよいなと思っている。

できることを無理せずにすることができれば
それでいいんだと思う。


できる限りやさしくすることで
それが大切にすることに繋がって
できる限り大切にすることで
やさしさに広がっていく

そういうことなのかもしれない。



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