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詩を深く考えすぎてはいませんか? 自然体に詩を書く方法

詩は論理的に書きすぎると、愛がなくなる。

詩を論理的に書きすぎると、読み手にとって、詩は感じるものではなく、考えるものになってしまいます。

昨今の現代詩は、そのような傾向があるように感じます。

例えば、考えに考えたアイデアというのは、柔軟性に富んだものではなくなり、結果的に受け手に、いい印象を与えることはむずかしくなりますよね?

それに似ています。

詩を書くためには、マインドフルネスが大切。

詩を書くためには、心を込めて、自然体で書く必要があります。

そのために、今を生きることが大切になります。

だから、毎日1回でも、瞑想の時間は取り入れることが大切であると、わたしは考えます。

わたしは毎日やっているので、アイデアは湯水のように湧いてきます。

瞑想は、ここで簡単に言うと、呼吸に意識を向けることです。

呼吸から意識が離れていたと思えば、また呼吸に意識を戻します。

呼吸をしていることを、静かに感じ入ります。

とまあ、この辺にしておきます(笑)。

1回やって、や~めた!ではなく、何回もすることによって、考えすぎていた思考の凝りが少しずつ、ほぐれていきます。

そうなったときに改めて詩を書けば、あなたらしい純粋な詩が書けると、わたしは確信しています。

詩は、論理より先に、愛情が大切!

皆さんは、詩を書くときに考えすぎる傾向があると思います。おそらく。

しかし、それではなにかを說明しているだけに過ぎません。

俳句でも、客観写生が大切とされているのは、リアリティがあるからなのですね。

客観写生とは、自然をありのままに写し取ることを言います。

リアリティ(自然)は、皆さんが思っているよりも、複雑な情報が含まれているのです。

それが、詩の深みに繋がっていくのです。

つまり、あなたにとって実感のある・・・例えば、切実な思い出や、こだわり、思い入れがあるものとか、不思議な気持ちでもなんでも、詩にするといいです。

それを、論理的に的確に表現できるのが、詩におけるテクニック(論理)なのです。

論理とは、手段であって、目的ではありません。

肝心な部分ではないということですね。

例えば、心が貧しい人がいくら頑張っても、いい仕事ができないことに似ています。

愛情をいくら論理で形にしても、完成するのは、ほんのわずかということです。

まずはとにかく、心が豊かになって、詩にすると、なんでも面白く写ります。

または、詩を書いていく中で、ほんとうの自分に巡り会えることを、わたしは強く祈っています。

そうすれば、いずれだれかにいいと思われなかったとしても、十二分に自分が満足できる詩を書くことができます。

その心を持った書き手こそ、ほんとうの詩人と言えるのかもしれませんね。

自然の中で、のびのびと、光を浴びて、踊っているような人・・・。

それでは、今回はこの辺で。

このnoteでは、創作活動や、ブログではなかなか話せないことを、書いていこうと思います。

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ここまで読んでいただいた皆様方、ほんとうにありがとうございます!(^^ゞ

かめれもん★でした~(^_^)/~