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ダイパ主義の生徒

最近、タイパ(タイムパフォーマンス)を気にする生徒が増えた気がする。

同じ時間で、どれだけ問題が解けるか、どれだけ教科書を先に進められるか、どれだけ本が読めるのか。

しかし、タイパが求められるのは(いや、タイパで測れるものはと言った方が正しいか)、誰がやっても、同じ出力しか生み出さないものだ。教師の仕事で言ったら、成績処理やテストの採点だ。

問題演習一つを取ってみても、解答を読んで満足してしまう生徒もいれば、なぜ自分は解けなかったのかを分析したり、新しい発見をしたりする生徒もいる。この2人に取って、一問の重みは全然違う。何問といたかなんて言うのはあまり問題ではない。

読書にしてもそうだ。一冊を読んでも何も覚えてない人もいれば、その一冊の本から自分の解釈をたくさん生み出す人もいる。何冊読んだかはあまり問題ではない。

多様な価値っていうのは、言語化しにくいし、それに気づかせるのは難しい。

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