雪国で暮らすということ〜今までの非日常が日常に〜
雪国は大変だ。
雪下ろしから1日が始まる。『スノーブラシ』と『スコップ』を両手に、今日も車の雪下ろし(発掘作業)。
奥出雲町は県内屈指の豪雪地帯。
「雪がえらいわ〜(大変という意味)」
地元のおっちゃんが言うように、雪によって『失くしているもの』はもちろんある。ただその一方で、雪によって『生まれているもの』もいくつかある気がしている。徐々に慣れてきたので、雪国の暮らしについて考えてみたい。
雪国の日常は自分にとって非日常
雪国の日常。それは東京&神奈川で生まれ育った自分にとっての非日常だ。
時々東京圏でも雪が降ることはあった。ただ、そのときに積もる雪の量は微々たるもの。
スキーやスノボーしに新潟や長野へいくことはあったため、自分としてはゲレンデ感覚だ。
こっちの雪は東京の雪の感覚と違い、降り始めたと思えば、瞬く間に積もっていく。2年目を迎えて少しずつ、しんしんと降り続ける積もりやすい雪の違いが少しわかってきた。
自然と生まれる『雪コミュニケーション』
雪国の朝は早い。
ドーンと降った翌朝はどの家も家族総出で雪かきだ。普段見ない子供達もたくさん見かける。雪の日こそ町に人出が見られる雪国ならではの面白い現象だ。
雪かきという『共同作業』によって、家族内や隣近所と生まれる『コミュニケーション』がある。
雪国1年目。「雪の中で焚き火したい!」と言うとわらわらと『人』と『食材』が集まり、突然BBQが始まった。笑
これもきっと雪がなければ生まれなかった雪コミュニケーションの一つだ。
雪国にある助け合いの文化
この町にある助け合いの文化。
それは『雪』があることも一つの要因だと感じる。
この土地に来ると1人では生きていけないことを痛感する。
移住して間もない頃に経験した移動マーケットもそんな助け合いの一つだ。
雪国に暮らすということ〜今までの非日常が日常に〜
冒頭に書いたように、雪によって失っているものは多くある。
雪かきにかかる『時間』や『お金』、『体力』。上げ出したらキリがない。
多くの人が話す「雪国は住みづらい」はその通りだと思う。
だからこそ、雪によって生まれているものはなんだろうと考えてみた。
『雪を通じた人とのコミュニケーション』。
雪から始まる人との出会い、繋がり。。
そこには『寒さ』の中にある『温かい』瞬間がある。
だからこそ人の繋がりを求めるなら「ちょうどいい雪国」は一つの選択肢なのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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