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ケンカは教科書

約1ヶ月振りのnoteになってしまいました。
オンラインでのインターンやら国家試験の勉強やらでなかなか書けなかったですが自分のペースで思ったこと書いていこうと思います。

今日は僕が公園で日向ぼっこしてるときに目の前で起こった出来事について紹介していきます。

題名にもある通り、私自身 "ケンカは教科書" だと思っています。(喧嘩という漢字が好きではないのでカタカナで表記します)

ケンカというのは、互いに相手に対する怒りの感情を込めた言葉を言い合うことであり、パンチなどをしてしまうことで事件に発展するケースもしばしば見かけます。

しかし、このケンカも子どもからすればチャンスで自分が何に対して怒っているのか、相手が何を考えていてどこに怒っているのか、そして殴り合いになることで身をもって痛みを感じることができるため反省します。

このようにして反省することで相手に謝るということを覚え仲直りの仕方を学びます。

ケンカというのは本能のままに感情を相手にぶつけるため、力の弱い子どもにとってはいい教科書ですが大人になってこんなことをしてしまうと事件に巻き込まれる可能性が高まります。

これは自分が加害者・被害者に関わらず、傍観者でも同じことが言えてどういう理由で怒っているのかを考えることで自分に置き換えた時に解決の道すじが見つけられるはずです。

近所の公園で遊んでいた3人の小学生が鳥かご(?)で遊んでいて、触ったら鬼が交代するルールで遊んでいた(伝われ〜)みたいで、そこで起きたのが「触った触ってない」の定番のやつです。

そこでケンカが起きたのですが、何も知らない保護者の方が 「あんたが悪いんでしょ!謝りなさい!」と頭ごなしに自分の息子に謝罪を強要するものの、その息子は「僕は悪くないから謝らない」の一点張り。

その後もずっとその子どもは謝らないと言い続けたものの、最後は無理やり謝らせられたみたいな話でした。

これを傍から見ていて、確かに保護者の気持ちも子どもの気持ちもどちらもすごい分かるのですがなぜ保護者の方は事情を聞かないのかということだけすごく疑問に残りました。

小学生の若干10歳の子どもがそんなに謝りたくない理由をなぜ聞かないのか。多分ですが、あの子どもは自分が悪いと思ったら謝るタイプの素直な子だったと思うんです。それまでも自分のミスとかを謝っていたので。

僕は子どもの頃争いはなるべく避けて生きてきました。だからこそ今でも人に強く言えないし、相手の顔色を伺いながら怒らせないように慎重に物事を運ぶタイプです。
私の家庭では、母のいうことは絶対!みたいな風潮があるので、いかに母を怒らせないかそれだけを考えて生きていた結果が今の自分を形成しているのだと思います。

もちろん今では直そうと努力して相手が怒っていても、自分の考えを冷静に話すことは少しずつ出来てはいますがそれでもまだ受け身の話が多いなと感じます。

だからこそあの公園の子どもには自分の考えをしっかり伝えられる人間になってほしいなという話でした。笑

現代はゲームの中の世界など人に会わなくてもいい時代が来ていますが、やはり人間関係というのはとても大切なものです。

小さいことのケンカを通して、感情的にならず自分はこういうことを考えていてこう思ったから怒っているんだのように、少しでも理論的に考えられたらいい大人になれるのかなと、暇な大学生が勝手な考察をするnoteでした。

まあケンカしといて論理的に怒っているのか理由言われた方がヒートアップしそうですけどね。笑

最後まで読んでいただきありがとうございました。コメントなどしていただければ嬉しいです。

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