一言の重み
今日は、1日を通して何気ないひとことの重みに気づかされた。
まず、1つ目の出来事は指導者が放つひとことである。
今日の練習後、監督から
「最近、動きが良くなってるね!」
とたったひとことであるが声を掛けて貰った。
自分自身、この数ヶ月の中で練習の取り組み方に変化があった。
それは、私自身が指導者として地域の子供達を指導している出来事からの変化である。
これまで指導を受けてきたことしかなかった私は、現在指導をする立場として活動をしている。
指導の難しさ、どうすれば子供達に伝えられるか日々試行錯誤して活動をしている。
そんな中で、指導者はどういったことを今求めていて、自分にどういうアクションを起こして欲しいのかなんとなく理解しやすくなった。
このことを生かし、ここ数ヶ月は指導者が求めていることを自分なりに汲み取って、それを応用してプレーや行動で表現することを意識していた。
そんな時、たったひとことだけであるが監督にこの言葉を貰った時は、どこか自分の取り組みを肯定されて、見てもらっているという満足感に繋がった。
もしかしたら、ただなんとなく今日のプレーだけが良かったから言ったのかもしれない。
ただ、そのひとことでこういった感情になれた自分を思うと、指導者が放つひとことは大きいのだとその言葉の重みに気づかされた。
一方で、今日は対照的に悪い意味のひとことの重みにも気付かされた。
それは「何者」という映画を鑑賞しての感想である。
映画から、自分の何気ないひとことが周囲の相手を傷つけてしまったり、不快な気持ちにさせてしまうことに気付かされた。
自分は勿論のこと、人は皆それぞれ違った背景がある。
自分の本当に全てを包み隠さずに曝け出している人は果たして存在するのだろうか?
その人には、その人の考えがあって、物事への想いがあって、環境がある。
だからこそ、その人の背景まで知らない人が簡単に相手の意見を否定したり、心ない言葉を放ってはいけないと感じた。
相手の背景まで考えて、たったひとこと・何気ないひとことでも相手を気遣えるような、その人の背景にまで目を向けて寄り添えるような大人になりたい。
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