オーストラリア時代

自己を分析することは”就活だから”ではなく、人生において大切だと思う。

こんにちは、かんばらです。

先日の初noteから「自分の思考の整理」と「少しでも誰かの参考になればいいな」という気持ちで引き続き書いてます。実は人事をやりながらも将来的に事業サイドへ行きたいと思っているので、人事としての観点を残しておくため(忘れないために)でもあります。

トップ画像は学生時代にオーストラリアで働いていた時の写真です。シェアハウスに住み(隣にいるのはシェアメイトだったKate)、移住も真剣に考えていたタイミングだったと記憶しています。(人生の価値観を形成した思い出深い場所ですね)

"自己分析"というワードは実はあまり好きな言葉ではないのですが、今回は敢えて言葉の浸透度とイメージのわかりやすさを優先して使わせてもらってます。

さて本題になりますが、前提として”良い、悪い”という話ではないということは強調させてください。なので「自分だったらこうだなぁ」「こんな考えもあるんだぁ」くらいで受け取って頂けたら嬉しいです。

目次はこんな感じです。

(1)なぜ僕が書くのか

新卒で今の会社に入社し、2カ月だけ法人営業を経験後、社長室(人事)に配属になりました。これまでに①企画②設計③広報④実務etc等に関わっていく中で数々の意思決定と向き合ってきました(とはいえまだまだですが)。

採用という専門領域もさることながら多くの方の意思決定に関われたことで見えてきたもの、感じたものがたくさんあります。

就職活動の選択は、スパっと決められる人もいれば、最後まで悩んで悩んで決める人など10人いれば10通りの違いがあったように思います。

そんな彼ら彼女たちと対話をして意思決定の理由、その先を見てきたからこそ伝えられることもあると思いこの記事を書いています。

冒頭でお伝えした通り、”良い、悪い”という話ではないということを改めて強調させてください。あくまで誰かの参考にしてもらえれば嬉しいです。


(2)社会人になっても”自己分析”は続く

学生と社会人の差ってなんでしょうか?

社会人だからと言って意思決定に悩む学生たちの悩みや課題をすでに乗り越えられた人たちばかりなのでしょうか?

もしそう思っている方がいるとすれば、「そんなことないよ!」とお伝えします。安心してください、(僕はむしろ)社会人になってからのほうが悩んでます。本当です。まぁ正確にはちゃんと考えるようになったと言ったほうが正しいかもしれません。

今の時代、学生と社会人の差ってものすごく曖昧です。というのも中学生や高校生で起業したり、大学生から個人で転売をしていたり、自分の力でお金を稼ぐ行為をしている人たちは年齢関係なくごまんといます。僕が面談や面接をする中でも(あくまで自分の基準として)すごいなぁと思う人たちにもたくさん会ってきました。そんな人たちと接する中で「自分の惨めさ」を感じる瞬間もたくさんあるんですよね。だからこそ努力できる部分もあるのかもしれません。

どんな働き方であれ人生において「仕事」は隣り合わせの存在です。そして時代も急速に変化して市場のニーズの移り変わりが激しかったり、自分のやりたいことも変わります。時には誰かに貢献したいという気持ちが出てくるかもしれない。様々な変数がある中でそれらを予想するのはめちゃめちゃ難しいことですし、いつその動機が現れるかわからない。常に自問自答なわけですね。だから、

ぶっちゃけ答えなんてないんですよね。(これが真実)

どれだけ企業分析をして会社を選ぼうが、どれだけ教科書通りに自己分析して会社を選ぼうが、または会社に入らないという選択をしようが、1+1=2というような答えは誰かが教えてくれるわけではありません。足し算なのか掛け算なのか、引き算なのか、割り算なのか、それすらも自分で決めて前に進む必要があります。10年、20年前は正しかったようなことでも今は「???」なこともありますよね。例えば、「終身雇用制度」とか「年功序列制度」だとか。なので、もう一回いいます。

ぶっちゃけ答えなんてないんですよね。

人生の法則の中で絶対なものがあるとしたら、それは

時間は前にしか進まない」ことだと考えています。

そして最後には「誰しもが死を迎えること」です。

人間として生きられるのは長くても100年くらいですよね。僕らは2000年から2100年の間を生きた人間たちであり、いづれは過去になるんですよ。

これはネガティブなことじゃなくて人類はそうやって進歩してきた。ごくごく当たり前なことですよね。

そんな100年ほどの人生をどう生きたいのか?

これを人生を通して考えるのが”自己分析”なんですよね。

(3)「○○○○○」が大事なポイント

就活生の皆さんは、周りに何故だか知らないけれど”自分のしたいことが明確な人””自信を持って進路の選択ができている人”に会うことはないですか?

自分なんか「人生について考えたこともないのに」「仕事について考えたこともなかったのに」と思ったことがある人はいませんか?

「いやいやそもそも働きたくないんだけど」みたいな人もいておかしくないと思います。

いろんな考えや感情があって当然だと思うことは前提として、なぜ自分と相手に自分の選択する決断に対しての”納得度”に差があるんでしょうか?

それは①「疑問をもてるか」どうかがとても重要なポイントだと考えています。そして自分の②「気持ちに気づけるか」、最後に③「暫定的にでも答えをだして前に進めるか」

ドラゴン桜という漫画の1コマで有名なシーンがあります。

「いいか!賢いやつはだまされずに得して勝つ!」「バカはだまされて損して負ける」「だまされたくなかったら損して負けたくなかったらお前ら…勉強しろ!」

ここまで極端な表現はしませんが、なぜ①「疑問をもてるか」が大事なのかどうかの理由はこの1コマで集約されているような気がします。

先ほどもお伝えしたとおり、僕らが生きている時代というのは大体2000年から2100年の間ですよね。じゃあそれまでを作ったのは誰で、これからを作るのは誰か?ということを考えてみてください。

社会のルールのようなものから暗黙のルールのようなものまで、それらができた背景には時代ごとの理由があったり、状況があるわけです。そしてその背景を知っていようがなかろうが、僕らはそれらが積み上がってできた世界を生きてます。

でも不思議なことにそういったものに疑問を持つ人はそんなに多くはない印象があります。

それは別に悪いことではありませんが、不思議だなーと思うことに疑問をもって自分なりに考えて、答えを出すことが大事なんです。

真っ暗な洞窟で思いっきりダッシュってできます?

そこに少しの光があったら多少の怪我はするかもしれませんが走る気になりますよね。笑 イメージとしてそんな感じです。

なので、まずは暗黙のもの、不明瞭なものに疑問を持って、自分の②「気持ちに気づく」(自分がそれをやりたいと思うのかや正しいと思うのか?の感情です)、そして最後に③「暫定的にでも答えをだして前に進む」ことが大事だと思っています。

(4)自分にとってのHAPPYを見つける

これまで「ぶっちゃけ答えなんてないよ」、「まずは疑問を持とう」とお伝えしてきました。がそんな自分も自分の人生のゴールを掴んでいるわけではありません。模索しながら進んでいます。

だけど上記のことを考えながら生きることで自分にとって何が幸せなのか?を見つめ、これだ!というものを見つけつつもあります。

「自然がすきだったり」

「音楽の中でもヒップホップジャンルが好きだったり」

「家族を大事にしたいと気づいたからこそ人生の優先順位を決めれたり」

「貢献したときに初めて仕事のやりがいを感じれたり」

と答えはないですが、少しずつ自分の気持ちに正直になれる瞬間が増えてきたように思います。

みなさんもそんな自分を見つけられることを応援しています。

(5)最後に

偉そうなことを言えるような立場でもなんでもないですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

すこしでも心の霧が晴れたり、勇気を持って次に進めそうだと言う人がいればそれは本当に嬉しいです。

僕もいずれは過去になる2000年から2100年の間を現在進行形で生きている1人の人間であり、常に模索しながら進んでいます。悩んでいるのは自分だけではないので、勇気を出して前に前に進んでみてください。

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