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人がたくさんいる場所で自分の考えや気持ちを書くということ

この記事について

ただあきってよく人の多いチャンネルで意見とか疑問とか書くよね〜という話を以前からたびたびしてもらうので、その行為について自分の気持ちをまとめたものです。

パブリックなところとは

この記事内では Slack などのチャットツールや esa などのドキュメント共有ツールで、「基本的にみんなに見える場所」という意味で「パブリック」という言葉を使います。

なぜ人の見えるところで書くのか

理由はおもにふたつあります。

相手に伝えないと伝わらない

ひとつは「思ったことは相手に伝えないと伝わらないから」です。
なので思ったことでも「これは伝えなくていいなー」と思ったら伝えていません。ちょっとでも「伝えた方がいいなー」とか「テキストで残しておいた方がいいなー」と思ったら書いています。
これは意見や疑問に限らず、個人やチームに対するポジティブな感想も含みます。

無言は肯定になり得る

もうひとつは「否定せず無言で流したら肯定になる可能性があるから」です。
発しなかった声はなかったものとして扱われます。
そしてポジティブなフィードバックは比較的得られやすいです。
伝える方も負担が少ないですからね。

反対にネガティブなフィードバックは、伝える方の負担も大きくなるのでされないことが多々あります。そうすると「否定されなかった」「反対意見が出なかった」「ポジティブな意見のみだった」という事実が残ります。
それって長い目で見て、相手にとって、全体にとってよいことなのかな?と思うんですよね。

なのである意見や発言に対して疑問があるときには書くようにしています。

書くかどうかの判断

日常のやりとりや雑なアイデアの発言、実況の類をするときは細かいことを気にしていません。
むしろ気軽に書いている方だと思います。

書くかどうかを悩むのは、チームや個人宛に意見や疑問を伝えるときです。
「これは自分だけが感じていることかなー」と思ったことは、あまり書いていません。
書く書かないの判断材料のひとつに「同じことを感じている人がいるかどうか」は結構大事にしています。たとえば音声会話の中、Slack や SNS での発言で同じことを思っている人を見かけたら書くことが多いです。
これは私個人の軸なので、もちろん自分の意思だけで書く人がいてもよいと思います。

また、明らかに違和感があること、よくないことについてはそこは気にせず書いています。たとえば「ゴミが分別されず捨てられてたので分別しようね!」みたいなことは何も考えず書きます。

書くときに心掛けていること

できるだけ自分の意見や疑問を素直に書くようにしています。
同時に、相手への敬意は忘れないように書いているつもりです。
自分がそう思って書いているだけなので、相手にどう伝わっているかまでは正直わかりません。

自分は丁寧に伝えたつもりでも、相手にキレられたり悪く言われたことは過去数回あります(後日仲直り?和解?していることもちゃんとあります)正直へこみますが、だからといって伝える行為を諦めることはできてません。
それよりも自分を含む誰かがもやもやを抱えている方が耐えられないからです。

パブリックなところで書かないとき

センシティブな情報、個人的な気持ちの確認はパブリックな場でしません。

注意のようなことも基本的にはしないです。
するのは上記の「無言は肯定になり得る」に該当するときのみです。
あまりよくなさそうなことがパブリックに書かれていたときは、パブリックな場所ですぐ否定しないと肯定になる可能性があるからです。
それを見ていた人達に「この行為は悪くないんだ」「これを容認する組織なんだ」と思われたくない!と感じたときは、申し訳ないと思いつつ否定のような意見を書くことがあります。

結局、書くことはいいことなのか

わからないです。
書くことの多い自分ですら今でも、書く前、書いた後に悩むことは多々あります。でも同じ目的を持った人達との間であれば、個人の意見や疑問をパブリックなところに書けることは健全で透明性のあることだと考えています。

悩みを言えず抱えたまま過ごすのはつらくないですか?
同じミッションを持ち、同じプロダクトを作って支える仲間達です。

一般的に、人数を増やしていこうとする企業が多いと思います。
人数が数人数十人数百人くらいなら尚更、その時点で思ったこと感じたこと、もやもやしたこと、悩みを伝えられないとしんどいんじゃないかな。

なので私はこれからもできるだけ伝えていきたいですし、伝えられる雰囲気を育てていきたいなーといつも考えています。

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