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朝日+思い出=肴

朝日が昇る様を見て時々思い出すことがあります。

19歳になる歳の専門学生だった頃のその日、私は小・中学校の同級生の2人の男友達と一緒にカラオケで歌い続け笑い続け夜を明かしました。地元で仲の良い友人グループのうちの2人でした。
京都にある私の地元はここ数年でこそ有名カラオケチェーン店が駅近くにできましたが、それ以前はカラオケに行くとなれば自転車で3.40分はかかる距離にありました。

そういった場所が方角が違えど数件あったのですがその日は六時蔵というベッドタウンの片隅の古くて小さなカラオケ屋にいました。
ドリンク飲み放題付きで深夜フリータイム800円。学生のお財布にも優しい場所でした。

当時友人のうち1人は祇園の和食の料亭で見習いをしていました。
「ほな俺、朝の仕込みあるから仕事行くわ」
そう言って去っていった友人をもう1人と一緒に「あいつの体力ゲージどうなってるんやろな」と話しながら私たちも帰ることにしました。

もう1人の友人は京都の大学生で、その日私たちは1限がなかったのかサボったのかは忘れてしまいましたが大通りと少しの山道を超えて観月橋近くになった時に友人がふと思い立ったように言いました。

「なあ、淀駅から始発出るとこ見にいかへん?」

いかに笑いを取るかに注力し、時にくだらないことで盛り上がる私たちの地元友人グループの中で彼は比較的常識人に見える方なのですが結局私たちと仲の良い人間です。たまに意味の分からないことを言い出します。彼の内なるトリッキーさは何かとエピソードがあります。

そんな彼にとっては本当に思い付いたことを口にしただけだったのでしょう。急いで帰る理由もないので提案に乗ることにしました。


何月だったのかも忘れましたが風の温度が気持ちの良い朝でした。
河川敷に沿って真っ直ぐ走ります。
いくらほとんど人がいないとはいえ横並びは危ないので私たちの会話は多くありませんでした。

「京阪って中書島から淀の区間が1番距離長いねんて、確か」
「そうなん?確かって何なん」
「何かそう言ってはった気がするねんなあ、中川家やったかな」

「ほんで始発って何時に出るん?」
「知らん、俺乗ったことないし」
「今何時か知らんけど間に合うやろか」
「ここまで走って間に合わへんかったらそれはそれでおもろいな」

一般的な始発の時間さえまだ知らなかった私たちはそんな取り留めない会話を縦並びで少し大きめの声で話しました。


川の向こうに朝日と、オレンジから白く、そして青く染まってゆく空と揺れる水面が見えました。
なびく雑草、頬を切る風。
目の前を走る友人の背中を見ていると自分がなんとか成人近くまで生きていて、その上ちゃんと友達までいるんだと改めて実感しました。

きっと、再来週には今日のことを忘れているかもしれないと思いました。
そして、一生覚えているかもしれないとも。
どうやら後者の方のようですね。


予想以上の距離があり六地蔵から長時間自転車を漕いでいた私たちが淀駅に着いた頃には7時近くになっていました。
駅前には通勤に急ぐ人々とラッシュでいつもよりむしろ本数の多い走りゆく電車を見て、やっぱり間に合わへんかったなあと2人で少し笑いました。
十数分ほど駅に吸い込まれていく人の波とよく晴れた空を2人でぼーっと眺めていました。

帰りながら、本当に無駄なことをしたなと考えていました。
今しかできない愛しい無駄なことです。

家に帰ると母が起きていました。
「おはようさん。どこ行ってたん?」
「おはようさん。六地蔵でカラオケ行って(友人)と淀に始発見に行ってた」
「始発ってもう出てるんちゃうん」
「普通に通勤ラッシュやったわ」
「なんなん、意味分からんやん」
「ほんまにな。意味分からんわ」

彼らと私たちの友情を知る母です。
母も私も笑っていました。


無駄が人生を豊かにする、だとかどこかで聞いたような言葉ですが私も概ね同意です。
私の今の趣味であるサイクリングはもしかするとこの体験があったから、なんとなく川縁を自転車で走る心地良さを知っていたから好きになったのかもしれませんしそうじゃないかもしれませんが。

私も色んな朝日を見てきたはずです。
深夜のバイトの残業が終わり疲れ果てた朝も、
前後不覚になるほど飲まされた朝も、
理由があったりなかったりしながら辛くて寂しくて眠れなくて迎えた朝も、
この人と会うのはきっとこれが最後だろうとそっと扉を閉めた朝も、
新しく見知った世界に圧倒されてしまい果たして私のゆくべき先は何を基準に選んだものかと途方に暮れた朝も。
良い朝ばかりではなかったはずです。

それでも朝日と明るくなってゆく空を見て最初に思い出すのは無駄に自転車を漕いで始発も見れなかったあの愛すべき朝なのです。


無駄が生んだ無駄でないものもあります。
彼も、料理人の友人も含めた地元の友人グループとは他にも馬鹿馬鹿しい無駄なことをみんなで沢山積み重ねてきました。
だから私たちはそれぞれ家庭や子供を持ったり、特急電車で2時間以上かかる距離に住んでいても盆と正月の半年に一度は皆で集まり今でも飲み会をしてくだらない話で盛り上がれるのでしょう。

時に無駄は、心を動かす何かは生み出してくれることもあるようです。それが友情の一片になることも。動いた心は長い潜伏期間を経てその者の一部となります。
2023年現在、次の正月の飲み会にはせっかくなら京都には無いお店のものを、何を持参しようか。
新しい一年の初めに久しぶりに会う皆んなと何を飲み食いしたいだろうかと考える日々を過ごしています。

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