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III. 石工集団と架設技術について

嘉麻郡内で他の溶結凝灰岩や砂岩に比較して強度が大きい花崗岩の需要が高まる19世紀以降に、新しい石切場の開拓と加工技術が向上し、加工できる石工集団が地元に存在していたことに加え、近隣の石橋架設に関する技術の影響を受けた可能性が高い。

近世以降における市内の花崗岩の石材利用は、年代が確実なところで益富城の石垣が最も古く、同様に年代が分かる資料として近世墓がみられる。しかし、市内の近世墓は大型の墓石を除いて加工が容易な砂岩が用いられているのが一般的で、墓石に花崗岩の占める割合が増加するのは19世紀以降のことである。また、市内の神社境内に残る階段、石橋等に残る花崗岩の矢穴痕についても調査した範囲では19世紀代のものが大半である。したがって、嘉麻郡内で 花崗岩の需要が高まる19世紀代に、新たに石切場が開拓され、複数のリブアーチ型石橋が架 橋され、それを実施した石工集団が存在したと推定できるが、それに携わった石工集団の実態 を記す史料は現時点で確認できていない。

つづく

熊本大学名誉教授 山尾 敏孝氏レポートより抜粋
※現在この橋は見学できません。

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