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他人事として考える

今日も霞んでいるけれど、青くて空の広さを感じる。陽の光がダイレクトに降り注いでくる。


週末も、穏やかな日々を過ごしていた。

自然に触れたくてうずうずしていたから、河原を歩いて水の流れを感じるだけでとても癒された。

あの日は、ささやかな幸せを感じることのできる1日だった。

だからセリアの品揃えの多さにも感動した。

皿だけでも2箇所に分かれて陳列しているぐらいの種類の豊富さ。陶器のものも、すべて100円。すごい。

たった2枚の皿を選ぶだけでも、ワクワクして楽しめた。

そんな時、電話が鳴った。



出てみると、職場の後輩だった。

私は今休職中だ。

年度が変わり、業務の引き継ぎをするようなこともあらかた片付いている。

ただその後輩には「何かあれば連絡してね」と言っていたから電話をくれたようだった。


内容は仕事のことで、一通り説明した後に

「こんな週末にまで仕事してるのか。大変だなぁ。」

と思ったからそのまま伝えた。

すると、

「ちょっと、他人事すぎません!?」

というようなリアクションが返ってきて、

あ、不快にさせてしまったと思い、

とりあえず謝り、日頃の頑張りを労っておいた。



その後でふと、考えた。

頑張っている後輩には申し訳ないけど、

後輩から聞く話はすべて

今の私にとっては、本当に他人事だった。


週末に職場に出向いて仕事をする、とか。

しかもさして重要ではない会計の仕事を、週末にするとか。

これまでの自分も当たり前にしていたことだ。

でも、

今はもうその感覚を思い出せないし、自分の生活に当てはめられない。

他人の生活としか思えない。

そういう線引きを私はできるようになっている。




「他人事のように考える」は、そっけない。

でも、

人のことは所詮、他人事だ。

自分事と他人事しかない。

すべてを自分事にしていたら大変だし、

他人事として見るからこそ気付けることもある。