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#9 鎌倉大仏殿高徳院 佐藤孝雄氏に学ぶ「これからの時代に必要となる、『分けない』思考」

 当院の御尊像は、鎌倉で唯一の国宝物です。吾妻鏡の記録によると、御尊像の鋳造は1252年に始まったとされています。15世紀の末には露坐の状態になっていることがわかっており、そこから数えて600年近く、ほぼ原型を保った状態にあります。世界的に見ても、これだけの規模の鋳造物が露座の状態で、これだけの年月、原型を保っているのは類を見ません。その意味では、当院の御尊像は古都鎌倉を象徴する存在とも言えます。

 お寺は、社会の公器でなければなりません。街並みは時々刻々と変化をしていきますが、お寺と学校は比較的長期間、同じ場所にあり続けますから、コミュニティの結節点にもなり得る場所だと思います。この点を意識し、当院でも、社会的に意義のある活動に関しては無償で場所を提供させていただいています。

 また、当院がこれまでの20年間に基幹事業として力を入れてきたのが、「鎌倉てらこや」という地域教育活動のボランティアです。鎌倉てらこやは、2003年に精神科医の森下一先生の呼びかけに、鎌倉の宗教界、政財界、教育界、文化人らが呼応して設立され、以来、子どもたちの居場所づくりを行ってきたNPO法人です。長年の実績が認められて、一昨年認定NPOになりました。当院でも、様々な形でお手伝いをさせていただいています。

 子どもたちにとって、現代はとても生きにくい時代です。中には不登校になる子もいますが、一旦不登校になると大変だと、森下先生はおっしゃっています。そのため、子どもたちが不登校にならないような、いわば予防医療のような活動を鎌倉てらこやが担っています。今の子どもたちにとって、大人というのは親と学校の先生、塾の先生くらいです。その中にあって、自分の居場所や価値観を見出せられなくなると、不登校になる可能性が高まります。そこで大切なのが、森下先生が提唱されている「複眼の教育」です。子どもたちをして世の中にいろいろな大人がいることに気づかしめ、多様な大人たちが地域丸抱えで子どもたちを育てていく。その考え方で、鎌倉てらこやは活動をしています。

 鎌倉には、美しい自然があり、長い年月をかけて育まれた豊かな文化もあります。そして、多士済々な方がおられるのも、鎌倉の魅力だと思います。また、ちょうど良い規模感も鎌倉の魅力に挙げられるのではないでしょうか。東日本大震災の後に、神道・仏教・キリスト教が合同で慰霊祭を行いました。これはおそらく、鎌倉だからこそできたことです。それぞれの宗教に、それぞれの教義があるありますから、一致団結・協力することは容易ではありません。鎌倉くらいのまちの規模感だからこそ、小異を捨てて大同でまとまることができたのかもしれません。

 私が最近、とても大事だと感じているのは「分けない」という思考法です。西洋近代科学に立脚する現代社会は、行き詰まりを迎えています。その打破のための考え方の一つが「分けない」という思考です。

 たとえば、二分法に立脚する西洋科学では、自然と文化が明確に分けられています。けれども、私たちが暮らす世界には、人の営為と自然の営力が分かち難く絡み合って生じた現象が満ち溢れています。例えば、今目の前にあるテーブルも、一義的には人がつくったものと言えるかもしれませんが、素材となった木を形作ったのは、風であり、雨であり、陽の光であり、鳥や昆虫でもあります。ことさように自然も文化も簡単に切り分けられません。

 『ジャータカ(本生譚)』によれば、悟りを開かれる前のお釈迦様は、飢えた虎のために自らの身を差し出して与えようとされたそうです。自身と他者を「分けない」からこそ、できる行いです。「分けない」、つまり万物は分かち難く結びつき、すべてがどこかでつながっているという考え方。争いに満ちた今の世の中に必要なのは、そうした考え方なのではないでしょうか。

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