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驚異の疾走感:毬矢まりえ・森山恵姉妹訳A・ウェイリー版『源氏物語』レビュー

 教養講座で昨年から『源氏物語』を担当するにあたり(https://images.app.goo.gl/MNaA3BHb4QYGjRSCA)、既刊の現代語訳をほぼ確認したつもりでいた。その上で、受講される皆さんには、使用するテキスト(岩波文庫新版全9冊)とは別に、読み易さの観点から最新の角田光代訳(河出書房新社全3巻)を薦めていた。恥ずかしながら不明にして左右社の本書4巻は全くノーマークだった。平凡社ライブラリーの同等書佐復秀樹訳は承知していたが、英訳の訳し戻し版を推薦図書リストに加えることはないままにしていた。
 ところが、9月のEテレ『100分で名著』(https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p39a07jd23/)で、取り上げられたことで初めて毬矢・森山姉妹訳を知り、深い関心興味を持たないではいられなくなった。遅きに失した感は否めない。9月3日に第1巻を購入して約3週間、Eテレの最終回までには、なんとか間に合わせての大冊4巻読了。実に驚嘆すべき読後感となった。名高い冒頭が以下のように語り出される。

いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。/ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。そのなかに一人、エンペラーのご寵愛を一身に集める女性がいました。その人は侍女の中では低い身分でしたので、成り上がり女とさげすまれ、妬まれます。あんな女に夢をつぶされるとは。わたしこそと大貴婦人(グレート・レディーズ)たちの誰もが心を燃やしていたのです(第1巻9頁)。

 光源氏は、ゲンジ・ザ・シャイニング・ワン、である。終始、このテイストで、まるで池田理代子の傑作コミック『ベルサイユのばら』のテキスト版を読み進めている印象。既知のあれこれの箇所がどう訳されているのかの興味とともに、訳文そのもののスピード感に牽引され、各巻約700頁がどんどん進む。その感覚は、若かりし頃、『レ・ミゼラブル』(佐藤朔訳)や『風と共に去りぬ』(大久保康雄・竹内道之助訳)を夢中になって一気読みしたそれに近い、非常に懐かしい印象だった。
 読み終えてみると、語りの重点部分におやと思わされることが散見されたり、一巻丸々割愛されていたりもするし、特に玉鬘十帖の典雅な風の希薄さに個人的な違和感は拭えなかったが、物語としての面白さは驚異的なる疾走感により十分享受できる。宇治十帖の結末部分を唐突感なく読み終わらせる点は感心させられるばかり。先行の佐復訳と同じテキストを訳し戻しているとは思われない。明らかに毬矢・森山姉妹の文才による達成である。アーサー・ウェイリーの訳業そのものが偉大なのだろうけれど(恥ずかしながら、それを判定できる英語力が自分にはない)、英訳を、かくも大胆に、翻訳本として完成させた二人の訳者は、訳業からすでに7年が経過しているが、このたび大注目されたことで、あらためて賞賛されなければならない。もちろん同書は、あくまで『源氏物語』本体を理解するための一登山口である。大和和紀のコミック『あさきゆめみし』に相当する、物語全容を理解するための手立てのひとつと言うべきだろう。そう承知して、好事家諸氏に通読必須と推薦したい。

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