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芥川賞「荒地の家族」レビュー

井戸川射子「この世の喜びよ」とともに芥川賞を受賞したもう一作、佐藤厚志「荒地の家族」は、個人的に苦手なタイプの小説だった。東日本大震災を背負いながら生きる人々の心情を作品化しての受賞という前評判に期待していたが、冒頭から汗臭く、陰鬱で、読了しても心揺さぶられない。一粒種の長男を遺し妻は早世し、後妻は流産してある日突然出奔し連絡もままならず、行方が知れても会おうともせず、周囲まで壁になって拒絶に徹する。幼馴染は自死し、今世紀最大の厄災の地に生きる者を描くにあたり、作家がかくも過酷な設定を発想、描出することに共感できない。10年経過しても一向に全き復興が実現せず、それどころかそれを口実にして招致し、世界的難局のなか、大多数の反対を押し切り実施したスポーツの祭典そのものが不正、汚職まみれであったことへの憤りは共有しているつもりだが、10年して企図され紡がれた物語が本作であることの意味を受け止めることができない。しかも物語そのものが既視感大きく、設定そのものがある意味ステレオタイプで斬新さなし。作者自身、あの大震災を体験しているはずだが、その投影が、なぜこうした設定なのだろう。淡々とした風景描写に、現況への理不尽さを読み取れないわけではない。しかし、なんらの慰めなく、通読しての激励もない。浦島太郎なのかデビット・リンチなのか、思春期の息子の笑い顔が僅かに救いとなるラストの趣向に託されたものへの熱量が体感できなかったのは読み手である自分の硬直性なのだろうか。ことごとく残念。力量ある書き手の伝統的リアリズム小説である。


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