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観客に楽しむことを求めない映画『関心領域』レビュー

 つらい作品である。ドイツ人一家の日常生活を、基本ロングの固定ポジションで描き続けるだけだから、その単調さに睡魔さえやって来る。しかし、その一家が、アウシュビッツの強制収容所と壁一つ隔てただけのところに住まう所長ルドルフ・ヘスの家族であることを了解した上で受け止める時、きわめて深刻で重い意味を有した映画となる。
 歴史的残虐さと隣り合わせに存在した富裕・華美な日常。それを描いた原作、それを踏まえて映画化した本作、その枠組みを構築した時点でこの作品は、唯一無二の独自性を獲得している。カンヌでのグランプリも、米アカデミー外国語映画賞も納得である。多くが絶賛することについても何らの異議はない。ただ映画の一般鑑賞者としては、以上のことを十分受け止めた上で評価点複雑な思いを消しきれない。本作を面白くないというと、自身の想像力の欠如を嘲笑われるようだし、深く共鳴し絶賛すれば、所謂スノッブ、すなわち知識・教養をひけらかす見栄張りの気取り屋臭をひけらかすような感を禁じ得ない。そんな仕上がりの一本だからである。しかも、明らかに観る者にいささかも楽しむことを求めていない。いくつかのシーンに関しては、監督、製作者の説明がないと分からない。パンフレットを購入しなかったことを悔やんでいる。これは、映画の在り方としてありなのか。楽しむばかりが映画ではない。そう片付けられない。本作はドキュメンタリーではなく商業作品だからである。
 アウシュビッツでの歴史の事実は人類が共有しなくてはならない深刻な時空である。しかしながら人類は、われわれが生きる世界は、それを普遍化して反省していない。いま中東で起こっている事実は、反省している事実とどう異なるのか。そのことも考えながら、ひとつのある「領域」として提示された本作そのものと、そこに窺われる監督、製作者の姿勢を前に、評価を決定できず逡巡するばかりなのである。それでも土曜日昼下がりの回の日比谷の映画館に若い人が多く見られたことは、いくらか救いになっている。

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