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『鎌倉物語 第七話:目に映る現実は人の数だけ存在する』

 二子玉で合流したHIROと僕はバイクを走らせ、利根川の方へと向かった。
 茨城との県境にある、ギリギリ千葉県という場所がHIROの育った街だった。大手ディベロッパーが開発した綺麗な家が並ぶその街並に僕はなんともいえない違和感を感じた。そこが横浜の青葉台と言われれば特に何も思わなかったと思う。ただ、のどかな田園風景が広がる土地の一角に、突如出現した人工的な街は、M・ナイト・シャマラン監督の『ウェイワード・パインズ 出口のない街』を思わせた。
 もちろん、荒廃した世界の中に取り残されたカプセルシティという設定ではないのだが、この街には何か共通した秘密でもあるんじゃないか?と勝手に妄想をふくらませた。
 HIROの通った幼稚園、小学校、住んでいた家、よく遊んでいた公園、合格祈願をした寺などをまわり、子供のころ大好きだったという中華料理店で昼食をとった。
 HIROの口から語られる幼少期から青年期への記憶は、必ずしも幸せなものばかりではなかった。おそらく普通の人から見れば羨むようなエリート街道を歩んでいる。地元の小さな小学校から日本一優秀な学生が集まる私立の中学に合格し、大学も超一流である。HIROの家庭を外から見れば、たいていが「羨ましい」と勝手に思うんだろう。
 でも、HIROにとってこの街での記憶は決してキラキラしたものばかりではなく、思春期における両親との葛藤が色濃く影を落としていた。20年以上の付き合いの仲で、HIROがこれほど自身の弱く脆い部分をさらけ出して話すのははじめてだった。隣の家の芝生は青く見えるというが、彼の主観から見える風景と、客観的に外から見た風景は大きく違ったものであることがわかった。そして、そんな話をしてくれたことが嬉しかった。
「こいつもいろいろあったんだな。歯を食いしばって生きてたんだな。ツラかったよな。見返したかったよな。苦しかったよな。そんないろいろな感情の上に今のHIROのやさしさがあるんだな」
 そんな風に感じるコトができたからだ。

 美味しい炒飯と独特の味だった餃子を2人でたいらげ、次はHIROが通った中学・高校へと向かった。バイクを都内に再び走らせて1時間ほど。東京の中では少し辺鄙というか、変わった場所にその学校はある。全国にその名をとどろかす名門中の名門。東京大学への現役合格者数は常に日本一である。
 よくもまあ、そんな中学の入試に合格したもんだなと思うのだが、本人はあっけらかんと「大好きなサッカーを辞めて受験勉強したら合格した」と答えていた。中学に進学してからもいろいろあったみたいだが、さっきまでと違い母校を見るHIROの横顔はどこか生き生きしていた。
「なんか勉強が好きな奴っているんだよ」とHIROは夕日に照らされた校舎をぼんやり見ながら笑った。
そして「俺は勉強はできたけど、嫌いだったから、好きな奴には勝てないって思ったんだよね」と続けた。
「家帰ってテレビとか見たいじゃん? でも、そんな感覚で勉強する奴がこの学校にはけっこういるの」
 HIROはこの全国一の進学校で王道を歩むことはなかったという。少しドロップアウト気味に煙草を吸い、バンドにのめり込んでいったとか。それがまた両親との葛藤を生んだようではあったが、学校を外から見てまわっているうちに、いろいろな楽しい思い出も蘇っているようだった。
「なんかけっこうツラいことが多かったように思った学校だけど、来るとなんか良かったこともいろいろと思い出すね」とHIROは笑った。
 人の記憶や認識なんてそのくらい脆弱なものだということだろう。
 良い思い出の上にネガティブ思い出が重なれば、上から違う絵を塗られてしまった絵画のように、良かった思い出まで隠れてしまう。だが、実際にその場所に来て、その場の空気を感じて、過去の自分と正面から向き合ったとき、違う感情が悪い思い出に隠れていた、たくさんのハッピーな出来事を思い出させてくれる。
「実際に来ないとわからないこともたくさんあるね」と言ったら「そうだな。けっこう楽しかったんだなって思ったよ」とHIROは答えた。

 すべてが素敵な思い出ばかりの人間なんていない。いや、究極的に言えば完璧な幸せなんて存在しないのだろう。他人から見たらどんなに幸せそうに見えても、当の本人はそうでもないということは往往にしてある。だからこそ自分だけが自分の人生に対して正当な評価をくだすことができるし、そうすべきなのだ。他人が自分の人生をどう捉えようがそれは自由だし、否定する必要も自分のことをわかってもらう必要もない。ただ、自分だけは他者の意見に惑わされることなく、自分の主観でもって、自分の人生としっかりと向き合うべきなんだと。HIROと一緒に過ごした1日を通じて感じた。

 素敵な1日の最後に夕食をともにしたが、そこで彼は繰り返しこんなことを言っていた。
「人間やりたいことを全部やることなんてできないよ。その時その時で本当にできることなんてひとつだけ。だけど、そのひとつの夢を叶えたところで、次の日にはそうでもない普通の1日がはじまる。だからいつも幸せな奴なんて存在しない。何かを成したから幸福になれるなんて、そんなもんじゃないんだよ。幸福は今すぐ感じるコトもできるし、それが永遠に続くなんてこともない。でも、だからこそ今やるべき自分の中で一番優先度の高いやりたいことを全力でやったら良いんじゃないか? そしたら成功はすると思うよ。人ひとりが人生かけてがんばってるんだから、その想いを裏切るほど神様は意地悪じゃない。ただ、成功したからって幸せかっていうとそういうことではないと思う」
 子供みたいに真っ直ぐな目で語るHIROの言葉にはいつも優しさが込められている。強くて、あったかくて、頼りがいのある男だ。でも、そんな男でさえ人生の中でもがき苦しみ前に進んできた。
 次はそんな彼の心の内に迫ってみたいと思う。