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漣の果てに。 第6話

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おふくろの一周忌。縁も所縁もないが、鎌倉の寺で一周忌法要を行うこととなった。寒さ厳しい二月も鎌倉は人気が絶えない。華やかな街の雰囲気、年中変わらぬ古都の趣、執り行われる一周忌。

親しい親族のみの法要としたが、しゃべり下手な親父は挨拶が控えているのでいささか緊張気味である。

両家と姉夫婦合わせて十四、五人の集まりとなった。列を成して座る。住職がやってきて経が読まれる。普段なら眠くなり、即座に舟を漕ぎ出すところだが、荘厳な寺の構えは見ているだけで飽きない。

梁の一本一本に装飾が施され、柱は風格十分。寺の特徴でもある格天井は、広い本堂をさらに奥行きのあるものに感じさせる。さすがに歴史ある寺は違う。床は冷え冷えとしており隙間風も甚だしいが、石油ストーブが点けられて身体は暖かい。

おふくろは火事が怖いからと言って、石油ストーブは絶対に買わなかった。うちはいつも電気ストーブだった。友達の家に行ったとき、石油ストーブの暖かさに感動したのを思い出した。

住職の経は続く。正座が苦手な俺も親父も早々と足を崩した。法事での正座には苦い思い出があるので無理はしないに限る。おふくろとの思い出に想いを馳せたかったが、三歳になる姪が経に合わせてファンキーな動きを見せるため、その目論見は脆くも崩れる。叔父馬鹿ながら姪は異常に可愛い。頬が緩む。

二十分ほどで読経が終わった。寺の装飾と姪のおかげであっという間だった。一人ずつ焼香を済ませ、本堂を後にする。外に出るとあまりの明るさに目が眩む。雲ひとつない空。空気は澄み切っている。

近くの料亭「御代山」にて会食となる。親族一同が席に着いた段階で親父のスピーチが始まる。緊張気味で噛み噛みだが、なんとかやりきった。高そうな会席料理はなかなかの味だったが、感動するほどではなかったね。
母方の親族を見送り、姉夫婦with姪が帰った。親父が疲れている様子だったから俺が車を運転し、久々に実家に戻ることに。

「煙草吸っていいか」
親父が遠慮気味に言う。普段は断固ことわるが、今日ぐらいは許してやろうという気になった。
「いいよ、吸えば」

フゥー

気持ち良さそうな吐息が狭い車内に響く。下を向く親父。お疲れ、親父。
左手から紫煙が昇る。十センチほど開いた車窓から外へ勢いよく逃げていった。

ふと親父の中の何かが抜け出ているんじゃないか、そんな気がした。
待て、行っちゃダメだ。
親父に声をかけようと口を開きかけたとき、親父のしわがれた声が被さった。

「今度、黒澤一郎と会う。黒澤が俺の大学のゼミの先輩だってことは知ってるよな? 赤坂で会食をすることになった。社会勉強だ、お前も来ないか? 黒さんも娘を連れてくるらしい」

黒澤一郎? おぉ、そういえば、聞いたことがあった。中学生の時だったか? まだ黒澤一郎が田中角栄の後ろをうろちょろついていた頃だ。当時は「へぇ」と思ったが、トリビアのボタンを数回押す程度の感心だった。

政治が少し分かるようになってからは、ニュースや新聞で見聞きすることが圧倒的に多すぎて、親父とのつながりなんて忘れていた。親父は頭はいいが、凡人だ。方や黒澤一郎は日本を動かすグレイツである。

それと会食だって? 
親父、どうした。それまずいんじゃないのか。
仮にも小森建設の役員だろ? 
ゼネコンと政治家。ジャニーズと紅白。AKBと秋元康。蜜月関係。
しかも相手はあの黒澤一郎。うーん。きな臭い。

「それって、仕事?」平静を装って聞いてみた。

「いや、仕事じゃない。久しぶりに会ってみようということになった。お互い子供も大きくなったし、学生時代の話でもしながら子供自慢のために一席設けようということだ」

嘘がつけない親父。煙草を持つ手は小刻みに震え、全くこっちを見ようとしない。仕事なのか……。まずいだろ。

「いつなの?」

「三週間後の日曜。赤坂の料亭。こういう経験もしといた方がいい。勉強だ。勉強」

さぁ、どうしたものか。親父は何を企んでいるのか。止めたいが俺には無理。そう、俺は凡人の息子。Son of a “Bonjin”。口を挟むことなどできるはずもない。

黒澤一郎か。ちょっと会ってみたいぞ。いやいや、いかん。もしかすると事件に巻き込まれるかもしれない。冷静になれ、俺。でも──。

刺激のない毎日。麻痺した感覚。
リフレインされるため息が、俺の理性を狂わせる。

「わかった、行くよ。せいぜいお洒落して」
信号が黄色から赤に変わろうとしていた。俺はアクセルを踏み込む。

「ありがとう」

そう言った親父の目は、すごく遠くを見ていた。信号機は目に入っていない。視線の先で枯れ木が山を賑わせている。

ありがとう? 何か違うんじゃねぇか、その返事。


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井沢ダムの入札日は五月二十日。小百合の誕生日の一日後。あと三ヶ月弱。裏工作を始めるにはぎりぎりのタイミングだ。今、動くしかない。

まずは、現地視察。その後、各社のプロジェクトへの力の入れ具合を完璧に把握する。社長にリストアップしてもらった各社の担当者を見ると錚々たる面子だ。副社長、常務クラスがずらり。

盛岡の新幹線ホーム(喫煙室)で煙草をくゆらしながら、ぼんやりとする。桃の節句を迎えても冬将軍は勢力を弱めない。灰色の空に白い斑点がちらつく。雪か──。

例によってゼネコン各社で、井沢ダムの案件に関しての腹の探り合いが始まっていた。鹿鳥グループの優位は動かない。が、松中工務店も、ダム工事には強い。プライドをかけて勝負に出てくる可能性は十分にある。中成建設も黙っていないだろう。これだけの案件、各社とも入札額を下げるため赤字覚悟で入札してくる。

しかし、そこは曰くつきのゼネコン業界。自由競争はまだ、ない。勝負をかけてみるが、大赤字は避けたい。全体最適。お互い様。“調整役”の登場である。

今回は鹿鳥の元社長で、現在中堅ゼネコン東松建設の小笠原相談役(ミスター「ダム」というダサすぎるコードネーム)が、各社の入札情報を握っているとされる。

小笠原さんに自社の入札額を暗に知らせる。もちろん最大限の企業努力をして、だ。その上で、各社の金額をほぼ握った小笠原さんが今回取らせる会社に幾らで入札をするべきかを伝える。

そして、選ばれし一社はその金額を捻出するために下請けの会社一つ一つを訪問し、納品金額を下げさせる。大手ゼネコンは一つの仕事が取れなくてもつぶれることはないが、下請けの中小の事業所は違う。一度の大規模開発に自社の製品を納入できなければ、それだけで会社は火の車だ。

その弱みにつけこんで金額を徹底的に叩く。こうして、関係各所がコストダウンを図り、その結果選ばれし一社(一JV)が “確実に”落札できる価格で入札するという仕組みだ。

仮に今回の入札でその一社になれなかったとしても、小笠原さんに仁義を切っておけば、次回の中規模工事のときは必ず仕事がもらえる。そのあたりの匙加減が絶妙だからこそ、齢七十を数えても調整役として業界に君臨できるのである。持ちつ持たれつ。

嗚呼、一人勝ちなきゼネコン業界。
嗚呼、破綻なきゼネコン業界。

小笠原相談役が絡んでいるとなるといよいよ鹿鳥で決まりのはずだ。さらに、黒澤一郎の名前が出てきた。東北地方に特に深い関わりを持つ黒澤は、当然鹿鳥とも何度も仕事をしてきている。黒澤一郎の登場も、鹿鳥に追い風となるはずである。普通なら。一般的には。通例としては。

建設業界との“よからぬ関係”が明るみに出始めている黒澤一郎は、当初このダム建設は関与しないと言われていた。しかし、東北新幹線をリニューアルし、東北地方の活性化をマニュフェストでも宣言している黒澤はどうしてもこのダム工事も一枚噛んでおきたかったようだ。相変わらず危険な橋を渡る人だ……。

業界内では俺と黒さんの関係は知られているわけではない。そして、俺自体の知名度がそれほどあるわけではない。依然として小森建設の窓口は、白尾副社長だ。

「鹿鳥で決まり」という下馬評を隠れ蓑に俺は動く。そして、黒さんを動かす。社長の命はそういうことだ。

岩手の春雪は強まるばかり。宮沢賢治が愛したイーハトーヴは白一色となっている。ドイツはあまり雪が降らなかった。

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